魚の小骨みたいに、ずっと引っかかっているあれやこれやがある。
溜飲はずっと下がらずふとした瞬間にチクチクズキズキ痛んでその時の悔しさとか悲しさ、絶望感とか焦燥感がぶわっと襲い掛かってくる瞬間、ありませんか?
昔話とmoz FOREST LABELさんとのコラボの話。
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いわゆる商業演劇に出させていただけるようになった時期が明確にあって、当時の自分は恐らく調子に乗っていたのだと思う。
当時、日本の情勢が不安定だったこともあったり、本当に演劇を続けていて良いのかといったような葛藤もあった。
緊張と恐怖を今でも覚えている。
劇団の看板を背負っている、という自負もあった。
外の現場に出るということはそういうことだと強烈に思っていた。
要は空回りするフラグがびんびんに立っていたのだ。
理不尽さとどう向き合えばいいのか、なんてことは誰も教えてくれない。
だから現場で経験して、酸いも甘いも喰らって、ある種の処世術を身につけていくものなんだと言い聞かせた。
自分が未熟だから。
自分が至らないから。
自分が若いから。
全て『自分』に理由と原因を定めていた。
他人のせいだ、と思うことほど烏滸がましい考え方はないって、純粋無垢に信じていた。
芝居が上手い人が正しい。
キャリアが長い人が正しい。
それさえあれば理不尽さは罷り通るのだと、悔しいけど切ないけど苦しいけどそう思っていた。
思わざるを得なかったじゃなきゃやっていけなかった。
何かと似ているなぁ。
受け手次第で理不尽は理不尽じゃなくなる。
もちろん、それを対外的に見た時にどうかっていうのは別問題で。
当時の自分は理不尽だなんて微塵も思っていなかった。
いや、思ったら負けだって思っていた。
それでも今まで、その感情や感覚や経験は小骨。
絶対に外れない小骨だったのだ。
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忘れない、ということは自分にとっては呪いのようなものだったりするけど、誰かがそれを俺を何かを忘れないってのが、あっという間に救いに変わる。
誰かが忘れないでいてくれて、それについて今になって声を掛けて下さるってのが、あっさり小骨を取り除いてくれた。
本当にありがとうございます。
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絶対に相容れない世界がある。
どんなに意識しても主張しても発信しても叫び続けても伝わらない人には伝わらないし、もっと言えばそんなものは聞いてもらえないし見てもらえない。
端っからその概念が無い。
その世界では中心軸というか、それを中心に回るってのが決まっているから付随しているものなんてどうでもいい。
価値観の享受だけは欠落させたくない。
色んな人がいるし色んな考え方があるのにそれを度外視するのは本当に勿体ないと思う。
だからずっと意識して主張して発信して叫び続けてやるって誓う。
こういう時はMOROHAを聴くに限る。
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moz FOREST LABELさんとコラボしてパーカーとTシャツのデザインをやらせていただきました。
劇団のグッズとかのデザイン、仲間内のフライヤーデザインやロゴの作製はやって来たけど、外部のしかもアパレルのデザインは初めてのことだったので非常に楽しかったです。
同時に、やっぱりデータや紙の上のイメージと現物を擦り合わせていくのが難しくて手こずりました。
今回でめちゃくちゃ勉強になりましたわ。
とは言え納得いってないものを世に送り出すつもりは勿論なくて、最後まで微調整させてもらって素敵なものに仕上がったと思います。
近々、デザインと注文方法をお知らせできると思います。
早く手に取っていただきたい特にパーカーを。
サンプル品を自分でもほぼ毎日着ているくらい気に入ってますので、お楽しみに。
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京都、やっぱり好きだなぁ。
劇場も街も人も。
またゆっくり来たい。
『BIRDLAND』はツアー最後の地、久留米へ。
旅が終わる。