連日、新国立劇場『夢の裂け目』の稽古に勤しんでおります。
2003年アメリカよりも1946年日本の方が難しい。
そういうところに、自分が現代に生きている俳優である実感と、演劇の難しさの深淵を覗き込んでいる気がしていて、いやはや演劇というやつは憎い。
憎いから愛しい。
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ここ数日、何とか都合をつけて観に行けた芝居が
悪い芝居『ラスト・ナイト・エンド・ファースト・モーニング』
月刊「根本宗子」『紛れもなく、私が真ん中の日』
舞台『黒子のバスケ IGNITE-ZONE』
の三本でした。
劇団員たちの活躍めざましい作品ばかりでした。
毛色の違う三作を観て思ったのは、最近の自分は身体への興味が馴染んで溶けて、今は言葉や戯曲の強さみたいなものに惹かれているという事実だ。
身体への興味が無くなった訳ではなく、それが自分にとって当たり前のものになって近しいものになっている感覚で、そうなると俄然興味は言葉の強さや意味、戯曲のメッセージ性や作家の叫びみたいなものに自然と向けられて行く。
相変わらずコミュニケーションというものへの興味も尽きないが、頭で述べた現代を生きている俳優として今取り組まなきゃいけないのは、台詞、言葉、戯曲などなどのような気がしてならない。
それは映画『教誨師』での経験、大杉漣さんとの邂逅がでかいのだけど。
まるで生まれ変わったような抜本的な『何か』が、自分には今必要なんだと言われてる。
んだと、思います。
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ある噂を耳にしました。
玉置玲央、柿喰う客辞めちゃうんじゃないかと。
お客様の中でそういう話が上がってるとか上がってないとか。
辞めません。
辞めてたまるか。
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