お久し振りです。
『みみばしる』が無事に終わりました。
どれほどの覚悟を持って舞台に立っているか、は、知ったこっちゃねぇ。
どれほどの覚悟を持って舞台に立っているのか目ん玉見開いて耳の穴かっぽじって感覚総動員で受け止めやがれこの野郎、を、どれだけ『撒き散らせられるか』が大切なんだと思いました。
眼に見えないならそれは表現とは言えなくて、お客様からチケット代金を頂いている以上はどんな崇高な意識や考えを持っていたとしてもそれを視ていただけないとなんにも意味がない。
し、ずるい。
チケット代金を頂くということは契約だ。
お客様と出演者の間に発生する唯一無二の約束事じゃなきゃいけなくて、だから何かを、何か以上のものを提供しなきゃずるい。
価値を産むも殺すもこちらにかかっている。
満足に至るも至らぬも皆様にかかっている。
双方が覚悟を表出させられるか、それが舞台の醍醐味だ。
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舞台への取り組み方が変わってきた。
よりシビアに、ドライに、クールに、見据えている。
必要な物事が手に取るように分かる。
それを最短距離で追い求めることが出来る。
最大効率を算出出来る。
寄り道に価値がないとは全く思わない。
けれど今感じているのはそれを逃げ道にすることも多々あるから、安全に逃げ込まないようにどれだけ律し闘うかの重要性だ。
『こうして寄り道した結果、豊かな収穫を得られた』という美談に埋もれてしまったかもしれない『最短距離で解が見つかったお陰で、それを膨らますことに時間を費やすことが出来た』かもしれない事実に、目を瞑ってしまいがち。
それを狙えるのなら、存分に狙うべきなんじゃないか。
舞台創作は有限であるから、ありとあらゆることを一刻も早く知り、探り、吐き出すことも必要で、今はそれに興味がある。
一刻も早く信じられる何かを掴みとれば、それを糧に有限を無限に出来る。
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さて。
いつの間にか自分はこんなにも大人になり、冷静に客観的に自分の居場所や立ち位置を把握出来るようになったのか、としみじみしています。
徹底的に尽くしたいし誰かの為に生きたい。
これは一生言うんだと思う。
自分の為に生きることに何一つ興味が湧かない。
誰か、作品、座組、笑顔、充足とか、そんなことに全部費やしたい。
だから、そう思えない事象にぶち当たった時の狼狽が凄い。
心酔して生きていたいし、心酔させて生きていたい。
もうお腹いっぱい喰えません、でも次の日にはまた喰いたいって思っちゃう謎の事態を巻き起こす存在になります。
なんのこっちゃ。