2018年06月18日

朝、出勤中の電車にて

The 雑感。



Take me out 2018で初めましての方々が、夢の裂け目を観に来て下さるのが嬉しい。

更にそこから初めてお手紙を下さるという方もいらっしゃって本当に嬉しい。

皆様が思っている以上に、お手紙というものは我々の活力になっております。



一口に『手紙を書く』と言っても簡単なことじゃあないと思います。

自分も手紙を書くのでそれはわかってるつもりです。


便箋と封筒選び、俺はこれにめっぽう時間がかかる。

色々あり過ぎて迷っちゃうし文房具好きなもんだから紙質とかにも拘りだして選び終わる頃にはひと仕事終えた気分。

そして言わずもがな、そっから手書きで文章をしたためる訳です。


つまり、手紙の何が嬉しいかってその『労力と時間』な訳です。

他人の為に自分の時間を割けるということほど、豊かで素敵なことはないですよ。


皆様から頂いた手紙は全て読み全て保管してあります。

本当に本当に、ありがとうございます。



『理想の演劇形態』というものがあります。


望まれた現場、潤沢な予算、最強の座組、素敵な脚本、柔らかくも頑なな演出、開かれた裏方、力強いお客様。

言い方は様々ですが、そういう『陽』の要素が全て揃った演劇というものには、そう何度も出会えるものじゃあありません。

そしてそれらはとてつもなく贅沢なものですから、あって当たり前と思うのも違いますしもっと言えば、全ては自分で手繰り寄せる或いは自分で創り出すものだと心得ています。


演劇をやる上で俺は、お客様の存在は絶対に切り離して考えない。

作品の一部、のつもりで考えている。


上記で述べたのは『理想の演劇』であって『理想の演劇形態』とはちょっと違う。


実際にあった具体例が


柿喰う客を以前から観ていた

玉置が出てるから『秘密の花園』観に行く

そこから唐十郎作品に興味を持ったので花園神社で『吸血姫』を観る


というコンボ。


要は自分をキッカケに、演劇自体に興味を拡げてもらえたらそりゃあもう万々歳、理想の演劇形態という訳です。


『吸血姫』のあの熱気溢れるテントの中、恐らく勇気を出して声を掛けて下さったあなた、本当にありがとう。


演劇やってて良かったと思える、贅沢な時間でした。



プレイヤー側で、ご縁創りが流行れば良いのに。

そうしたらもっとおもしれーことになるよこの世は。


宜しくお願いします。


写真は新国立劇場で偶然というか必然というか会った、『お気に召すまま』で共演する玲央バルトナー。


二人の玲央。

537ACA54-3722-45C1-8775-03BACE876BB0.jpg

posted by 玉置玲央 at 07:45| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月09日

豊かさ

『夢の裂け目』という作品に、関わらせて頂いていることについての、あれやこれや。



どんな作品に携わる時でも、大事にしていることがある。


観に来て下さったお客様の人生を狂わせられるよう尽力する。


これだ。

もちろん、良い意味でですよ。

演劇にはその力があってそれを信じているから、作品と出会うのは楽しくてしょうがないしその作品を通してお客様と出会うのは、なお一層楽しい。


常に、誰かの人生狂えー!って祈りながら板の上に立っている。

し、祈れば届くと信じている。

そういう演劇に携われるように生きようと思うし、そういう人生を歩もうと強く思う。


『夢の裂け目』にはその匂いがぷんぷんしている。

誰かの人生を狂わせてしまう匂いが。

だから、言わずもがな観に来ていただきたい。

演劇で人生狂わせてみて欲しいのです。


そんなに悪いもんじゃないですきっと。


演劇は観ていただいて初めて作品になるので、どうか一緒にこの作品で人生狂わせましょう。


宜しくお願いします。



今年は『豊かな演劇』に恵まれている。

ただそこに演劇があるだけで全てが成立している作品たち。

これって凄く素敵。


演劇を創るということが、須らくこうであって欲しい。



紫陽花、ぶりっぶりに咲いてますね。

箱根か鎌倉か京都に行きたいものです。


昔、赤羽公園で見た紫陽花が未だに忘れられん。


追憶。


写真は頂き物。

根津権現さんの腰掛石!


A340D6E1-900D-4853-88F2-09FFF9B12A9A.jpg

posted by 玉置玲央 at 21:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月30日

夏が近い

ブログのデザインを変えたので、試しに投稿。
写真を撮るのはやっぱり好きだ。

入道雲こんにちわ。

D436F514-A51A-463A-BCDC-E8AD68C24F2F.jpg
posted by 玉置玲央 at 23:09| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月29日

伝われ

伝える、という話。



何のために演劇をやっているの?と聞かれることがまぁあるのですが、例えばそこに義務感みたいなものは無くて言ってしまえば愉しいからやっているってのが本音。

愉しいなぁ、ありがたいなぁと思ってただただ演劇やって来て、お陰様でご飯を食べるに至れているのだから感謝感激な訳です。


逆を言えば、何か義務感で、或いは愉しくなくて、あと何となくで演劇を続けているのだとしたらこんなに長続きしなかったろうなと思う。

自分を甘やかしているとも言えるけど、好きなことだけやって生きていくことは決して悪いことじゃないなと思っている。

でも好きなことだけやる為には然るべき責任が伴うし、やらなきゃいけない好きじゃないことってのも絶対にあって、でも持ち前のスーパーポジティブマインドのお陰でそれすらも愉しい、演劇の一部だと思えて今までこれたから我ながら本当におめでたい。


何もかもとはいかないが、あなたがもし演劇を愛しているなら、演劇だけじゃなくてそこに伴うありとあらゆるものも演劇に影響を与えている演劇の一部だと思って捉えてみてほしい。

途端に全てが上手く廻り出すかも知れない。

演劇は演劇だけで完結せずきっと日常や娯楽や他人や世界と繋がってその真価を発揮するから、もしかしたらあなたの演劇を豊かにするヒントは、思い掛けないところに転がっているかも知れませんよ。



柿喰う客の稽古場に行き、にんぎょひめの稽古を観て、カメラで写真を撮り、蕎麦とカツ丼を食べ、ドトールでカフェラテとミルクレープを頂き、劇団員たちと語り合う。

それがそれこそが、俺の演劇を豊かにしてくれるのです。


そんなものなんです演劇なんて。



そしてそんな感覚や感情を烏滸がましくも色んな方に知って欲しいから、ワークショップやったり高校の先生やってるんですね。

自分の世界を自分だけで終わらせない。

人と世界と繋がることで、俳優には価値が生まれる。

と、これは栗山民也氏の言葉。


俺もそう思います。


引き続き、演劇のことだけ考えて、生きていきますアタクシは。

posted by 玉置玲央 at 21:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

たまるか

連日、新国立劇場『夢の裂け目』の稽古に勤しんでおります。


2003年アメリカよりも1946年日本の方が難しい。

そういうところに、自分が現代に生きている俳優である実感と、演劇の難しさの深淵を覗き込んでいる気がしていて、いやはや演劇というやつは憎い。


憎いから愛しい。



ここ数日、何とか都合をつけて観に行けた芝居が


悪い芝居『ラスト・ナイト・エンド・ファースト・モーニング』

月刊「根本宗子」『紛れもなく、私が真ん中の日』

舞台『黒子のバスケ IGNITE-ZONE


の三本でした。

劇団員たちの活躍めざましい作品ばかりでした。


毛色の違う三作を観て思ったのは、最近の自分は身体への興味が馴染んで溶けて、今は言葉や戯曲の強さみたいなものに惹かれているという事実だ。


身体への興味が無くなった訳ではなく、それが自分にとって当たり前のものになって近しいものになっている感覚で、そうなると俄然興味は言葉の強さや意味、戯曲のメッセージ性や作家の叫びみたいなものに自然と向けられて行く。

相変わらずコミュニケーションというものへの興味も尽きないが、頭で述べた現代を生きている俳優として今取り組まなきゃいけないのは、台詞、言葉、戯曲などなどのような気がしてならない。


それは映画『教誨師』での経験、大杉漣さんとの邂逅がでかいのだけど。


まるで生まれ変わったような抜本的な『何か』が、自分には今必要なんだと言われてる。

んだと、思います。



ある噂を耳にしました。

玉置玲央、柿喰う客辞めちゃうんじゃないかと。

お客様の中でそういう話が上がってるとか上がってないとか。


辞めません。

辞めてたまるか。

posted by 玉置玲央 at 13:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月09日

教育と演劇

学校の先生をやっています。
経緯はいつか話すとして、朝一から生徒と過ごす時間が自分には物凄く大切。


通勤に役1時間かかるのだけど、1時間電車に揺られてるこの時間が好き。
年がら年中演劇に携わっている自分としては、日常に触れている時間の質、豊かさってのが非常に大切で、この1時間は貴重な考えをまとめたり調べ物したり台本読んだり出来る時間。

良い。


着々と『夢の裂け目』の稽古に勤しんでいます。
あんなに長かった茶髪を断ち切って、今はものすっごい短髪。
頭さみーさみー。

頑張りまする。

posted by 玉置玲央 at 13:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月08日

感謝感激雨霰

Take Me Out 2018が無事に閉幕しました。

まずはご来場下さいました全ての方に感謝を。


観に来て下さった皆様が本当に色々な考察をして下さっていて有難い限りです。

少しだけ、どういう心算で取り組んでいたのかという話をしようかと思います。



まず、極めて個人的な話からで申し訳ないけどこの作品は、自分の中でも『会心の一撃』な作品だった。

自分がやりたいこと、演出がやりたいこと、共演者がやりたいこと、プロデューサーがやりたいこと、それらががっつり噛み合って良い意味で全くもって隙がない作品に仕上がった。

加えて、自分が必死こいて戯曲を読み解いて、メイソンという役を始め登場人物一人一人について思いを巡らせ、それを結んで行ってそうして演出の藤田俊太郎の観せたいものへと昇華させられたという意味で、これ以上無い演劇創作体験が出来たという手応えがあった。

人生でそういう作品、現場に出会えることはなかなか無いのです。

感無量でした。



何もかんもすっ飛ばして簡潔に言うと、皆さんが考察して下さっていることは全部あってます。

これを言っちゃあおしまいだけど、全部正解なんです。

だって答えなんてないから。


少なくとも俺は、メイソンと一緒に毎日を過ごしてその日産まれる感情や思いや関係性を、ただただ素直に出していただけです。

だからきっと何度も劇場に足を運んで下さった方は解るはず。

二度と同じシーンが無かったってこと。

それは稽古の時からそうで、毎日、毎ステージ、同じ瞬間は一度も無かった。

だから具体的なことを言えば『本当に、悲劇だった』だって、メイソンの個人的な悲劇だった時もあれば全然悲劇じゃない時もあったし、もっと大いなる何か、例えば神様に対して怒りや悲しみをぶつけていたこともあったし当然あの物語の中で起こった出来事に対して言った時もあった。

直前にダレンから告白をされても、その『悲劇』は変わらず『悲劇』なんです。

なぜならTake Me Outはそういう物語だから。


だから、さっきの『会心の一撃』の話も相まって全て、なるべくしてなる結果でそれは解っていたことなんです。



ただ、圧倒的に想定外だったことが一点あって。

偉そうな物言いになってしまうかもしれないけれどそれは、言わずもがなダレン・レミングを演じた章平の凄まじい成長速度だ。


元々、受信能力がずば抜けてる章平が、公演期間中に発信する楽しさを手に入れてかつ、それをコントロールして打ちかますようになっていったこと、これが一緒に芝居やってて楽しくて楽しくて仕方がなかった。

目の前で表現者が化けていく瞬間を見ていられるというのは最高ですよ。

やりとりに果てがなくて、これはどこまで行けてしまうのだろうと日々ワクワクしていたものです。


それが出来たのは、座組の誰もがこの作品を諦めなかったからだと思ってる。

40ステージという昨今なかなか無い長丁場を誰一人として消化試合にしてなかったから、果てがないという余白を導き出せたんだと思ってる。


そりゃあ全部正解になりますよ。

そういう演劇だけ、本当は存在しているべきなんだけどね。


出会えて良かった。



長くなりそうなんで締めます。


今、2003年アメリカのゲイのユダヤ人の会計士から、1946年の日本の復員兵になっていってます。


演劇って本当に凄いよこんなことが出来ちゃう。


TMOに限らずね、演劇に携わってくれた人の人生が狂っちまえって切に願うよ。



言葉のナイフがザックザクに刺さります。

ずーっと。


こればっかりはどうにもならん。

posted by 玉置玲央 at 03:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

柿喰う客

自分が所属する劇団『柿喰う客』について、書いてみる。

初めて文章にしてみるからぐちゃぐちゃだけど、読んで頑張って書くから。


興よ乗れと願いながら、書くから。



柿喰う客フェスティバル2017に於いて最後に産まれた作品『極楽地獄』を観る。


俺は柿喰う客の創設メンバーで、旗揚げから居る。

もっと言えば旗揚げ前の、中屋敷法仁が一人で、劇団ではなくプロデュース団体として暴れ回っている頃から居る。

それを踏まえてこの『極楽地獄』という作品は、当時の、俺たちが20代前後のどうしようもない小僧だった頃の柿喰う客を思い起こさせる作品だった。

と同時に、柿喰う客の『最新形態』の作品であった。


どゆことー?



柿喰う客が標榜する『圧倒的なフィクション』という作風は、やる人受け取る人にとって意味合いは様々だと思う。

例えばマシンガンのように繰り出される台詞速度や、過剰なまでの身体酷使、客席に正面切って打ちかます鈍器のような言葉とか、目まぐるしく変わる音、明かりとか。

こういった良く目にする耳にする柿喰う客の感想がわかりやすいんじゃあなかろうか。

今回の『極楽地獄』では、扱っている重苦しいテーマに対して、上記の虚構性たっぷり要素をこれでもか!と押し出すことによって、圧倒的なフィクション足り得ている部分が多いと思う。


のだが。


加えて何が俺を20代の小僧に舞い戻らせたのかと言えば、もう一つ良く中屋敷が口にする『皮肉と悪ノリ』の部分。

作品にじっとり纏わり付いているこれが、柿喰う客の圧倒的なフィクションの大部分を担っていて同時に、懐かしーい気持ちにさせたのです俺を。



今から約10年前の柿喰う客を知っている方々が、お客様の中にどれくらい居てくれてるだろう。

当時の柿喰う客は出演者が多い時は50人以上、ゴールデンタイムのお茶の間だったらチャンネル変えちゃうようなド下ネタや、いやいや不謹慎だよってな内容の作品を上演し、大体クライマックスで出演者全員で1曲唄って踊り、最後にピリリと締めてカーテンコール、な団体でした。


今にも通ずるところではあるけど、中屋敷法仁の演出で眼を見張る点は、その多過ぎる登場人物を漏れなく『死なす』ことなく、必ず全員印象付ける手腕にあって、どうしてそれが出来るのかと言えばこれまた本人が公言する『僕は俳優さんの一番のファンなんです』という言葉に違うことなく、俳優個人個人の能力や長所を良く見ていて、更にそれを的確に作品に配置出来る能力を持っているからだ。


中屋敷法仁は実に『優しい演出家』であり、俳優が出して来た訳のわからんプランや芝居を受け容れてくれる。そしてさっき言った通りそれを巧みに芝居に組み込んでくれる。

少なくとも当時の自分は、それが嬉しくて堪らなかったからもっと面白いものを、もっと訳わからんものを、もっと熱量のあるものをと、繰り出し続けていた。中屋敷も面白がってじゃあこうしよう、こういうことは出来ないか、こっちの方が良いんじゃないかと、相乗効果で魍魎跋扈する作品を共に産み出していった。

若い時なんて箸が転がっても面白いし、集まってワイワイしているだけでも楽しくて、そこに更に誰々には負けたくないとかもっと誰々に影響したいとかもっと面白いものをもっと下らないものをと、若さ故の競争心みたいのが相まってその相乗効果はどんどん昇っていって。

でもその相乗効果の正体は実はそんなに大したものじゃなくて、先ずは中屋敷や共演者を、びっくりさせたい笑わせたい楽しませたい狂わせたいっていう、言葉を選ばずに言えば『究極の内輪ノリ』ってなだけだった。

大袈裟にかつ美談のように語るけど、その『究極の内輪ノリ』を磨きに磨いてお客様の為の『究極の内輪ノリ』にしたものが、今現在標榜している『皮肉と悪ノリ』の部分なのだと思う。

要は柿喰う客の芝居は、ふざけてなんぼなのです。

ふざけるの超大事。

語弊あるな、そんな『つもり』で取り組むの大事これは出演者として、ね。

アフタートークでも度々話題に上がるけど、真面目な流れにどうして急にふざけたシーンや芝居が挟まれるのかって、お客様に準備してもらう為なんです次に訪れる真面目なシーンのハードルを下げる為なんです真剣に肩肘張って観てなくて大丈夫なんですよーって伝える為なんです。


その匂いが雰囲気が『極楽地獄』にはプンプンしていたから、だから懐かしーい気持ちになったんですよ。

大人数でワイワイと、人によっては拒否したくなるような内容を、圧倒的なフィクション及びちょこちょこ差し込まれる下らんことで包んでお届けするそれ。


ザ・柿喰う客、である。



しかし『極楽地獄』はそれだけじゃあない『最新形態』なのである。

じゃあ何が?

そりゃああんた、出演者よ。


こればっかりは観て!としか言いようないけど、


永島敬三


を観て見て視て欲しい。


上手い俳優は日本全国居るだろうけど、アレをやらかせる俳優は居ない存在しない唯一無二。

声量、滑舌、運動量、呼吸、温度、筋肉の緊張と弛緩、照明効果と音響効果の纏い方、どれをとっても柿喰う客の最先端を担っている。


中でも永島敬三の一番に凄いところは、ゴメンこれものすごーく抽象的な話になるけど『抜刀/納刀』の美しさにある。


所作から所作、表情の強張りから抜くまで、移動して立ち止まるまで、アレやこれやの動きが瞬間的に放たれるのではなく、きちんと滑らかに段階を踏んで繰り出される。


こっからマジで意味わからん話になるかもだけどついてきてカモン!



柿喰う客の動き、それから音、明かりとの付き合い方ってのは結構シビアで、例えば『ギュイーン バシュ』みたいなSEがあったとしたら、照明は『ギュイーン』の間はバックからの明かりで俳優をシルエットにし『バシュ』で俳優を際立たせる白味の強いトップ明かりにカットチェンジ、SE鳴り終わりを拾って地明かり気味の明かりにフェードで変化していき空間を広げる、ってな展開をする。

音はその照明のフェードの変化に乗って行くように同じくフェードで、次の不穏なMがイン、不穏を緩やかに煽る、としたら。


俳優側は極論を言えば『ギ』で動き出して『ュ』で止まれれば万々歳。

身体をブらすことなくしっかり地に足つけて『止まる』ことを意識してそれを遂行する。

身体の雑味、詳しく言えば身体に染み付いた慣性や癖は徹底的に抑えて『見応え』に貢献させる。


のだけど例えば照明は『ギュイーン』の間中カットチェンジとは言え変化し続けているし、俳優は『ュ』で止まるのだけどキュー、つまり卓のボタンを叩くタイミングとしては多分『バ』で叩くことになるはず。

なのでたった1秒くらいの時間だけど刹那に変わっているように見える明かりも段階を踏んで変わっていて、それに俳優も乗っかれなきゃいけない。

何が言いたいかと言うと『ギ』で動き出したら『ュイーン』の間はじっとり動き続け『バ』でワンアクセント、例えば本当に一瞬身体をロックして『シュ』で身体をぶっ殺す。殺すってのはさっき言った雑味を排除した状態。で、次の明かり及び音のフェードの変化スタートに合わせて『一緒に』次の身体の状態に展開するってのが、非常に美しい状態。


俳優の動きで言ったら『ギ』で動き『ュ』で止まるの中にこれだけの『タスク』がある、というか込められる。


で、だ。


これが出来ていて更にそれを凌駕するものを打ち込めているのが、永島敬三なのだ。

筋肉で以上を遂行するのは簡単なんだけど敬三は加えてしなやかさがある。

その始まりから途中の滑らかさと納めの美しさが、まるで刀の『抜刀/納刀』のようなんですね。

さっきも言った通りこれを動きだけじゃなく台詞、表情、もっと言ったら雰囲気にまで適用させられるのは、日本全国探しても敬三以外いない。


永島敬三は柿喰う客の10年前を知っている。

そしてそして今現在、外部演出を含め中屋敷法仁演出を一番受けているのは敬三だ。

昔と今を繋いでいる永島敬三がトップ張ってる作品が『極楽地獄』な訳で、この作品は唯一無二のハイブリッド柿喰う客足り得ているのです。



訳のわからん話をごめんなさいね。


はっきり言おう。


『極楽地獄』を目撃して欲しい。

そして『柿喰う客フェスティバル2017』に参加して欲しい。

他の作品だって間違うことなく『柿喰う客』だから。


大層な話も表現も、お客様あってのものだから。


好みや面白いかは別として、こんなすげー劇団無いから。


よろしくお願いします。


http://kaki-kuu-kyaku.com/next.html

posted by 玉置玲央 at 16:26| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月03日

夢見がちな少女

連日、嫌な夢を見る。

内容を簡単に言えば『どんなに想っても伝えても願っても、当然のようにそれは伝わらずただただ打ち拉がれる』という夢だ。



芝居をする上でふとした瞬間、頭によぎるのは『達成しないこと』だ。

達成感を得ると途端にこれまでを疑わなくなるし、これからを発展させなくなってしまう。

いつまでも本当にこれで良いのだろうか?と疑問を持ち続けること疑い続けることを大切にしたい。

その疑いは何かと言えば、自分の演技プランや思惑に対しては勿論だけどまず何よりは、共演者に対して本当に影響を与えられているか、刺激となっているかだ。

今の演技が果たして誰かの為に成り得るかを考えるのが、俺は好き。

自分一人で自分の為だけに頑張るのは、限界がある。

『誰かの為に存在する』のに必要なエネルギーとか想いとか熱量を想像してもらえれば分かりやすいと思う。

いつだって物理的にも精神的にも、誰かに助けられて生きてきているはずだ。


し、それを信じて生きてきた。


そういうことが時々、波のように押し寄せて来て、その度に帯を締め直すのです。



夢の内容はそんな思いを窘めているようで、肚の奥底をぎりんと捻りそのまま脊髄を通って脳に到達、打ち上げ花火みたいに頭の中で弾けて蔓延していき、なんとも嫌な気分で目が醒めるという訳だ。


いまさらキスシーンの自主稽古に勤しむ日々で、よく人から『一人芝居は孤独でしんどいだろう?』と聞かれる。

確かに孤独だ確かにしんどい。

でも本番が始まってしまえば、孤独ではなくそこにお客様がいる。

それが救いになる。

孤独でしんどいのは稽古中の方がよっぽどで、判断も選択も後悔も発揮も、全部自分だけで決めなきゃならない。

良し悪しはいずれ板の上で決まるとして稽古中の、目に見えない他者に思いを馳せて疑問を持ち続ける30分間が、真っ黒けっけの夜の海を、泳ぐみたいで怖くて堪らない。


果てがない、ということはポジティブとネガティブの表裏で紙一重。

どこまでも行けるし知れるし得れるのだけど、果たして自分がそれらを抱えられる程の器なのかを、否が応にも突き付けられている。

重要なのはそれら自体ではなく、その『突き付けられている状況にある』という事実。


何でもいい、しがみついて浮かんでいられる何かを、可及的速やかに見つけなければならない。


曖昧さは、緩やかな毒としていつか、致命傷に成り得る。

ということが何となく分かる。



舞城王太郎氏の著作に『熊の場所』という作品がある。

この熊の場所という存在があるから、前に進めるし後ろも振り向けるし横道に逸れることも出来る。

その都度、何かを願っているのだけどせめてそれだけは、どっかの誰かに伝わって欲しい。

直面するのは怖いけれど、直面しないと手に入らないものは絶対にあるから、熊の場所に行けたのならそれはきっと神様が今、立ち向かいなさいと言っているのだろうと、信じてやまないです。

そういうことにしたい。



明日から仙台に入ります。

宮城県にも国道四号線は走っていてそして恐らく、その国道四号線を走る女子高生がいるはずだ。

俺は彼女を見つけ出さなきゃならない。


見つけ出して何が出来るかと言えば、ただただ一緒に走ることだけだ。


でもそれが出来た暁には、嫌な夢なんて見ないし瑣末なものになるんだろうな。


背筋をピンと伸ばして脇をキュッと締めて、いざ。

待ち合わせ場所へ。

posted by 玉置玲央 at 12:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

半年くらいのこと

書き溜めていた文字を、いい加減昇華させて上げないと忍びないので、季節とかめちゃくちゃなんだけどまとめて上げます。

途中の文もあるのだけれど、気にせず読んでもらえたら。



このブログでも度々書いて来ましたが、俺にとって音楽はとても大事。


稽古場でも劇場でも、ウォーミングアップをする訳ですがその時に聴く音楽によってその日の気分が結構左右されたりする。

コンディションは変わらず、気分。

なんか気分が上がったり下がったり、どちらが良い、ということは無い。


『アップ』というプレイリストがある。

今現在の曲目は以下。


パレード/BUMP OF CHICKEN

多分、風。/サカナクション

ポークジンジャー/tricot

Why I'm MeRIZE

虚無病/amazarashi

LOSER/米津玄師

ロックンロールは鳴り止まないっ/神聖かまってちゃん

NANIMONO(feat.米津玄師)/中田ヤスタカ

8823/スピッツ

スペツナズ/岡崎体育

Omoide In My HeadNumber Girl

はあとぶれいく/ZAZEN BOYS

SECTARB-DASH

BITE/岡田太郎

M0(いまさらキスシーン)/岡田太郎

M5(いまさらキスシーン)/岡田太郎


これをヘビーローテーションするのです。

基本的には自分の中で『踊れる曲』がアップというプレイリストに入る。



桜を見ていたら、ぶわーっと脳味噌が風景を描き出したので、ああこれは面白いところに行けるかも知らんと思い立ち、記憶の旅をしようと試みた結果訪れたのは春でもなんでもなく、三御堂島ひより及び『いまさらキスシーン』の事だった。


ひよりに会いたい。

ひよりになりたい。


いまさらキスシーンの話。



これは、僕から玲央君へのラブレターです。


と、初演時の稽古の際に中屋敷法仁は言った。

今から9年前、2008年で俺は23歳だった。

当時はまぁありがたい事だなと、俳優として一人芝居を書いてもらい演出をつけてもらうなんてそんな機会もなかなか無いので、至極当然の感想を抱いたものだ。

それは今思うとであって、そこには万感の想いや最大級の感謝がキチンと込められていて、千穐楽の日は、同時上演だった七味も一緒になって打ち上げでギャーギャー騒ぎながら抱き締め合ったものだ。

幸せだ、ありがたい、まだまだ頑張らねばと、そんな想いと共に仲間を抱き締めた。


それから、何度再演を重ねたかはもう忘れてしまった。

正確には憶えているが、それをあれやこれやと穿り返すのはなんだか野暮だなぁと思い、公演が終わる度にすっぱりひよりとはお別れをするといつの間にか決めて今日まで生きてきた。

反芻もすれば反省もする。

けれども俺とひよりは他人同士なので、彼女に直接それを伝える事なく今に至っている。

三御堂島ひよりに会えるのはラブレターを書いた張本人である中屋敷法仁と、彼女が住んでいる青森県の十和田市を通る国道四号線にたまたま居合わせた、あの世界を共有しに来て下さった方々と、そしてその瞬間の俺だけだ。

その瞬間、彼女にあれやこれやと伝えている暇は無い。

近付けば生命の炉が爆ぜて飛び散る何かの、その火の粉で火傷する。

側で、見守るしかない、30分間の逢瀬。


その逢瀬と中屋敷法仁への感謝に、今、少しずつ変化が起き始めている。



2016年に催された柿喰う客フェスティバル2016で、久々にいまさらキスシーンをやる事になった。

4年振りとかだったんじゃないだろうか。

方々で公言しているが、いまさらキスシーンは自分にとってライフワークで神様が許してくれるのなら80

までやり続けたいと思っている。

中屋敷法仁は全く厄介なラブレターを書いたものだ。

愛の手紙には変わりないがその愛には何か良くない呪詛的なモノが含まれていてもはや呪いの手紙だ。


俺自身も三御堂島ひよりに会えるのが楽しみで楽しみでしょうがなかった。

今度はどんな風景を魅せてくれて、どんな所に連れて行ってくれて、どれだけ俺を悩ませ苦しめ、どれだけ俺を甘やかし癒し慈しんでくれるのか、楽しみで楽しみでしょうがなかった。


開演を告げる音楽、即ちMゼロがかかる瞬間は本当に恐ろしい。

楽屋で一人、神様に祈るしか出来ない。

泣き出したいし吐き出したいし逃げ出したい気持ちをよそに舞台は暗転状態になり、小走りに舞台中央、蓄光テープのバッテンの場見りに立つ。

岡田太郎の作った曲の、その爆音の中お客様には聴こえない音でハッと一息、息を吐く。

続け様にもう少しだけ大きな声で宜しくお願いしますと呟く。

観に来て下さったお客様と、他でもない三御堂島ひよりに。

そしてカラカラの喉を唾液で潤し、グロスを塗ったはずなのにカッサカッサの唇を舐めて、背筋を曲げて暗闇のその先の見えない何かを見つめ、音楽が終わり、明転。



と、言う。

もうそこは三御堂島ひよりの人生だ。

その一文字、一言で、もう何にも怖くないし逃げ出したくもない。

なんならもっと側で彼女を観ていたい。

触れてやりたい。

抱き締め続けて護ってあげたい。


そんな、30分間。


初演の頃から、この作品で事件を起こす、観て下さった方にとって事件になる、する、と思ってこの作品に取り組んで来たのだけど、俺がどうして三御堂島ひよりに焦がれて、側に居たくて、会いたくて堪らないのか、何の事は無い。

彼女と居ると自分に事件が起きる。

それが楽しくて幸せで嬉しくて、側に居るのだ。



何で演劇に従事するのか、少し分かった気がする。

はっきり言ってしまえば、虚構の世界に逃げ出したいからだ。

現実とかがあまりにも怖いからだ。



どうにもマメに更新出来ないな。

すいません。

頑張りまする。


絵を描くのが、愉しい。

posted by 玉置玲央 at 16:14| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月23日

虚仮威

柿喰う客『虚仮威』の公演が全て終了した。

終わらない、と思っていた時間が終わり、何とも複雑な気分だ。

終わらない演劇など無いのに。



『役とお別れをする』という時間はいつだって寂しくて堪らんのだが、柿喰う客の公演そしてその役となると、寂しさは途轍もないものとなる。

思えばこの作品、一太郎という役は、俺にとって『別れ』の役だった。


大千穐楽の一分一秒、一太郎が俺から剥がれていこうとする逃げ出そうとする旅立とうとする。

終わりだサヨナラだお疲れ様と呼び掛ける。

いやいや待ってくれあと何分でいい何秒でいい、俺と一緒に居てくれと、必死こいて抱き締めながらの大千穐楽だった。

別れとはつまり死だ。

森羅万象全てのものが向かうのは死で、一太郎は特にその死に向かっての速度があまりにも速かった。

で、それはどうしてかというと俺が、心の片隅で一太郎に早く死んでくれと願っていたからだと思う。

その癖こっちのエゴで行くなまだだと引き止めていたのだから、一太郎にとっては訳解らん事態だったろう。

ごめん一太郎。


舞台上、大正の登場人物が一人一人はけていく。

最後、親父殿とお袋様が俺を残してはけていくあの空間は、別れと死以外の何でもない。

親父殿の言う『やがてこの一族はバラバラになる』という言葉は、俺にとっては死ぬことを伝えてくれている。

真実を伝え女として生きるという俺の意志、俺の生き方は、どう足掻いても親父殿の死を回避させれない。

お前は女だと言ってくれた親父殿は、愛して止まないあの親父殿は、俺を置いて先に死ぬのだ。

圧倒的別れが、虚仮威には漂っている。

だからこそ、あの一族の末裔が現代を生き、そして『女になる』ことを選択した所以なんだと思う。

彼女が実際、どこまで女なのかは解らない。

でも、孕み産むことを獲得しようするその姿は美しい筈で、つまり圧倒的死があれば圧倒的生が滲み出る筈なんだよ。

『別れる』ということは『生きる』ということ。


生命を営むということが、虚仮威と一太郎の全てでした。



稽古を含めると2ヶ月くらい、一太郎と一緒に過ごしたのだけど、俺も最初は一太郎が女だということは知らなかったお客様方と一緒だ。

女だと解った瞬間から、まず何より精一杯考えたのは、どうやったら生理が来るかということだ何を言っとるんだ俺は。

生物学上ね、生理は来ません俺は男だから。

でもこれは演劇なので、目に見えないものをみせなくてはならないので、とにかく血を、見せることを躍起になってやっていました。


柿喰う客の舞台で女役を仰せつかるということ。


三重か仙台か東京か忘れたが、終演後に中屋敷が言うのです。

やっぱり玲央君は女役だよ。

と。


柿喰う客が劇団化する前、今から10年くらい前かな?『とりあえずナマで!』という企画公演で初めて俺は女役を仰せつかった。

ある架空の国の女王役。

最後は毒物呑んで憤死するのだけど。


そこから『サバンナの掟』の純江。

産むこと、母なる存在になること、世界平和に憧れる女子高生。

最後は頭撃ち抜かれて死ぬのだけど。


『いまさらキスシーン』の三御堂島ひより。

生命を疾る女子高生。

彼女の生死は定かじゃない。


上げたらキリがないけど、都度都度、中屋敷は俺に女役を与えてくれる。

きっと、凄く大切なことなんだと思うそれって自分で言っちゃうけど。

虚構性の極み、性別を超えることを許される世界それが演劇、それが柿喰う客。



この記事を更新したら、俺は一太郎とちゃんとお別れします。

月並みですが、彼女と過ごした日々は忘れません。


もう、何も無い。


さようなら。

posted by 玉置玲央 at 00:27| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

年の瀬ですね。

毎日、絶望的なことが数えきれない程あるけれど、たった一つでも奇跡みたいな嬉しいことがあればそれを頼りに頑張ろうと思えるもんだ。


嘘をつかれる、ということが大嫌いだ。

善意の嘘みたいな言葉があるけど、そんなものは存在しない。

虚で相手の想いや考えを何か別の方向に示唆している時点でその嘘に善意も糞もない嘘は嘘でしかない。

あの手この手でその嘘を真実にしていこうと必死な様を見ると、馬鹿だなぁと思う。

必死に塗り固めるくらいならいっそ、全てを打ち撒けた方が潔いし美しい。

どうせ誰かを傷つけるなら、そうやって傷つけた方がまだ公平性がある。

そしてその嘘に、一喜一憂してしまう自分が大嫌いだ。


俳優は嘘をついてそれを真実にする仕事だから、時々本当に大嫌いだ。


何か良いことが起こりますように。

posted by 玉置玲央 at 19:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月05日

SABOTEN『百獣の王』という曲が好き

■1011日(火)

秋の匂いがする。

また愛かの稽古での京都滞在を思い出す。

少し風邪気味かもしれない。


■1012日(水)

秋深まる。

喉が少し痛い。


大阪だというのに、共演させて頂くエキストラの方々から『柿喰う客のファンです』と声を掛けて頂ける。


今は、心の底からこの言葉がありがたい。

嬉しくて堪らない。


東京に戻る。


■1013日(木)

授業2回目。

相模大野は寒い。

プロントでの一服は自分が『教員』になったことを強烈に印象づけてくれる。


■1014日(金)

オフ。

15日の大阪入りが無くなったのでのんびり過ごす。


新宿に繰り出し、ヨドバシで腕時計の電池交換、無印良品で付箋のケースを買い、世界堂で文具を漁り、MOTHER12に手を出す。


■1027日(木)

朝は神奈川総合産業高校で授業。

『季節が僕たちを過ぎ去ったあとに』の稽古。

後に葉丸あすかとラーメン喰らってカッフェーへ。


子供達の無邪気さと、広田さんやアマヤドリメンバーの心の広さと、そして葉丸あすかの愛に本当に感謝。


■1028日(金)

引き続き『季節が僕たちを過ぎ去ったあとに』の稽古。

広田さんと語らう。

後、ブルゾンを買う。


近所の蕎麦屋で

信州そばとカツ丼のセット

トマトサラダ

あん肝

ゲソワタのホイル焼き

を喰らう。


これでもまだ足りない。

育ち盛りの子供か俺は。


酒呑みでもないのに、アテになるものが好きである。


■1029日(土)

来阪。

コピーフェイスの三次スケジュール。


心配していたシーン、上手くいったようで良かった。

やっぱり、スタッフさんとの信頼関係と総合力だと思う。

佐藤隆太さんも言っていた。

愛情だ。


撮影後は矢柴さんと小須田さんとご飯。

幸せな時間。


■1030日(日)

お休み。

外は大阪マラソン。


新世界にあるスパワールドが好きだ。

天王寺で下車、一心寺の前を通り日本橋へ、1st2ndに顔を出しhigeさん、さおりちゃん、相内さん、かっこさんに会える。

自分で言う。

俺は一人じゃない。

で、スパワールドへ。

風呂は最高だとっぷり2時間弱過ごす。


ホテルの近くに戻って来て食事。


ほうれん草とベーコンのサラダ

茸と真鯛のアヒージョ

アンチョビのピザ


を喰らう。


これからホテルに戻って青森新聞の挿絵を描く。

絵を描くのは大好きだ。


■1031日(月)

午前中から『布に描けるペン』と『無地の巾着』と『ニット帽』を探して梅田、東梅田、西梅田を行ったり来たりする。


そしてロケ地へゴー。


日々、反省しかない。

映像の仕事は難しいけど、だからこそ超楽しい。

訳の解らんやりとりが出来た時は得も言われん。


■111日(火)

寒い大阪は。

夕方から撮影。

矢柴さんと小須田さんとの楽しいシーン。


小須田さんとは真田十勇士、朝日のような夕日をつれてと舞台でご一緒させて頂いておりまして、今回改めて、最高に尊敬出来る先輩だなと感服。


幸せな現場ですコピーフェイス。


撮影後はデラうまい粉物食べてご機嫌。


■112日(水)

お休みを頂いているので、三重まで小旅行。

柿喰う客をこっそり観に行きました。


柿喰う客撮影チームの竹崎先生と、カスガイの映像について作戦会議。


敬三と大阪の街へ。

ヘップの前で観劇三昧の三坂ちゃんと元劇団ぎゃ。のあやぱんと遭遇。


奇跡に乾杯。


こうやって素敵な日々が少しずつ積み重なれば、きっと大丈夫だ。


■112ex

朝、5:30くらいに飛び起きたんです。

カスガイの3rd connectの夢を観たから。

速攻で夢をメモ。


ああ。

ああ。


■113日(木)

今日もお休みにつき昼過ぎまで引きこもらせて頂く。

昼過ぎからはひたすら散歩。

6時間ほど歩いて食事。

梅田のお気に入りのイタリアンバルにて。


夜、ふと思い立って絵を描く。

大阪、独りの夜は長い。


■114日(金)

今日もお休み以下同文。

昼からモノモース打ち合わせ。

バリバリ話す。


『るつぼ』を大阪で観る贅沢。

ジョナサン、すげー。


今日も絵を描く。


■115日(土)

撮影が早まったので、思い切ってチェックアウト。

ドラマも大事だけど、季節が〜の台本もじっくり読みたい。


オーディションの案件文書を読む。


ツイッター再開。


今日の撮影は難しかった。

自分の顔は嫌いです。


東京に戻ります。

posted by 玉置玲央 at 18:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月08日

玉置玲央のヤリガイVol.18

お知らせです。

今月も開催致します月イチワークショップ企画ヤリガイ。

今回はいつもより少し短めの4時間。
コミュニケーションを主としたワークを多くやってきましたが、今回は身体を沢山使います。

--------------------

玉置玲央のヤリガイVol.18

■参加資格
健康で演劇が好きなら、年齢性別問わずどなたでも。
但し、俳優として舞台に立った経験のある方のみを対象とさせて頂きます。
未経験の方は申し訳ありませんが受講頂けません。
どうかご了承下さい。

■場所
都内某所
参加者の方にのみお知らせします。

■日時
2016年9月14日(水)13:00〜17:00
以上1コマ4時間

※途中からの参加、早退のご相談もお受けします。

■参加費
2,000円

■定員
10名ほど

※お申し込みの先着順にて、定員に達し次第締め切らせて頂きます。

■お申し込み
kasuguy.mail@gmail.com

タイトルに
【ヤリガイ18受講】

本文に
1.お名前(フリガナ)
2.年齢
3.連絡先(電話番号、メールアドレス共に)
4.備考

を明記の上送信して下さい。
こちらから追って詳細を返信させて頂きます。
定員に達していた場合にも、ご連絡差し上げます。

※お申し込みの確認は、メールのタイトルを見て判別しています。
お手数をお掛けして申し訳ありませんが、どうかメールのタイトルをお間違えにならないようご協力をお願いします。

■内容
出来る限り長く演劇と過ごす為の、そしてプロフェッショナルな俳優を目指す事を目的としたワークショップです。
今回は主にエチュードをやります。
ただ、普通にエチュードをやっても愉しくないので、『言葉と身体』を駆使して観ている人間により沢山のモノを伝えるにはどうしたらいいのか、参加者の方と探ります。

■レポート
過去のワークショップのレポートです。
良かったら参考までにご覧下さい。

--------------------

このワークショップはそもそも、演劇を身近に感じて頂く為に開催しているものです。
あまり頑張らなくても、とてつもない覚悟が無くとも、良い意味で日常の近くに手軽に演劇を感じて頂けるようにと開催しております。
演劇を身近に、そして身近にあるからこそ大切に扱って、そうしてそれが誰かに大いなる影響を与えられたら、こんなに素敵な事は無いじゃない。

今日も、誰かの為に演劇を。

もし万が一ご予定が空いておりましたら奮ってご参加下さいませ。
ヤリガイに、どうかお付き合い下さい。
宜しくお願いします。

玉置玲央
posted by 玉置玲央 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月08日

殺人的なジョーク

音楽はいつだって何度だって必ず、必ず平等だから有難い愛しい残酷だ。
頭を金槌で横からぶん殴られるような衝撃が時には雨だれ石を穿つかってくらいの淑やかさで耳から流れ込んで来ちゃうもんだから、その雨だれは眼から涙に毛穴から脂汗に、ぶん殴られた衝撃はそのまま声に音に叫びに、なってしまうものだ。
そうして身から出た音や感情は、間違いなく音楽だ。
音楽は音楽を産み出す。
いつだってそうだだから有難い愛しい残酷だ。
残酷なのだ。


あなたの眼の前に今、大切にしてきた宝物、何でもいいが例えば愛しい人から頂いたアクセサリーか何かがあるとする。
それを先ず、良く想像してほしい。

その宝物を盗むでもなく、汚すでもなく、ただただ破壊しようとする存在がいるとしよう。
あなたならどうする?
破壊という事はつまり、もう二度と同じ姿のソレには出会えないという事だ。
この世から、消し去るべく、侵略してくる存在がいるのだどうする?
答えはひとつ、「排除する」だ。
大切なモノは守らなくてはいけないさもなくばあっさりと消え去るこの世から無くなる二度と手に入らなくなる。
あなたがどんな善行を積み重ねて来ても、誰かの事を想い祈り尽くして来ても、この平穏が永劫変わらず続きますようにと心底から願おうが、あなた以外の存在はそんな事は一ミリも知らない鑑みない思いやらないから、奪われるのですよあなたの意思とは全く関係ないところで、全く関係ない感情で。
その恐怖と隣り合わせで毎日を生きる事がもし出来たなら、つまり脅かされる危険を意識しながら感じながら一分一秒を生きられれば、毎日はきっとキラキラと輝き出す。
そして安穏を脅かす存在を排除するその覚悟が、生きる意味になるはず。
一挙手一投足を大切に思えるはず。

世の中は須く残酷なので、その残酷の海を泳ぐ覚悟と、些細な傷口にも染み入るその海の水に耐え得る魂を、泳ぎ切る肉体を、持ち合わせて生きようではないですか。

人は、最期には必ず一人。
慈しみ、尊び、前だけ向いて直向きに生きて行こうが一人になる時が必ず来るのだから、自分の人生の意味と価値は自分が先ずは勝ち取らなくてはいけない。
何でもいい。
金を稼ぐ、愛する人を見付ける、何かを生み出す、そしてそして、誰かに影響する。
何でもいいから生きる意味と価値を。
死ぬ価値を。
勝ち取れ。

一人であるという事は、一人じゃないから実感出来る。


お酒が飲めない。
が、そろそろ致命的になってきた。
演劇でお酒の味を表現しなければならない時、俺はそれが出来ない。
お酒の席での作法を表現しなければならない時、これは勉強したから多少は出来るが、心底の意味では体得していない。
具体的に言えば『お酒の席あるある』が、俺にはピンとこない事がある。
グラスの扱い方、テーブルクロスの使い方、瓶の所作、飲み方嗅ぎ方の『大衆性』を俺は知らない。
が、実はそれはどうとでもなる。
勉強と想像を、すれば良いのだ。
実際の経験に勝るものはないが演劇は想像力で補える部分があって、物凄い暴論になるけれど、勉強して想像して、結果お客様に真実として伝われば良いのだ。

じゃあ何が致命的かと言うと、演劇に携わった人なら誰もが想像に難くないであろう『お酒の席でのクリエイション』に参加出来ない事なのだ。

お酒の席でのクリエイション。
何の事はない、お酒の席で交わされる演劇に携わる話、稽古に関する話、誰かへの思いなどなどを、共有する事が出来ないのだ。
情報としては、後で何処かで聞けばそれで済む事なのだけど、良い意味での酔った勢いや、その瞬間の熱量や、酩酊状態故のその場の本音などは、計り知れないのです。

柿喰う客は酒が飲めない人が多いので、劇団員同士で飲みの席が催される事はあまり多くない。
新劇団員が入って飲める人が多くなったのでこの先どうなるかは解らないが、結果として飲みの席で演劇の話になる事があまり無かったように思う。
ただひたすらイチャコラした会話を繰り広げているだけだ。
それが俺には物凄く心地が良い。
柿喰う客という劇団の大好きな部分でもある。
演劇は稽古場と劇場にしか存在していない感じ。あくまで感じね実際は存在しているのだけど。

お酒は、大衆心理が動きやすい。
ある理由から、俺は人に迷惑をかける酔っ払いが大嫌いだ。
この理由は話すと長くなるのでいつか話すとして、酔っ払っているから、大衆心理が動いてまるで正義を勝ち取った風になっているからと言って、例えば誰かを傷付けて良い訳ではないし、誰かを悪にして良いとはならない。
自分の周りにたまたまそういう風潮が見受けられて、悲しくなる。

そして何より、酒の力を借りなければ何かを決断出来ない、という風にはなりたくない。


イヌの日が始まります。
一つ。
松居大吾が闘っている。
だから、大吾の為に俺も闘う。
posted by 玉置玲央 at 23:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月24日

自分の知らない所、目の届かない所で、自分の力じゃ到底及ばない揺るぎない何かが動いていて、それがミシミシと音を立てて緩やかに状況を変えていくのが、本当に嫌だ。
絶対に介入出来ない場所で状況で、何も手出し出来ないまま、勝手に世界が変わっているなんて、そんな不公平な話があるか。


拒絶されたらお終いだ。
拒絶の裏で新たな芽が出ていて、宿り木みたいに蝕まれて、本来そこに咲いていた花をさておいて、新しい生命は大切だし尊いし物珍しいから寵愛されて、枯れていく。
花が枯れる。
そんなんは嫌だ。
でも何がしかを信じて、例えば言葉を鵜呑みにしてただただ堪え忍んでいても、結局痛い目見るだけなのだ。


何かが終わったら、その花たちはまた寵愛を受けれるのだろうか?
花は水を渇望し続けている。
咲きたいし咲かせたいし咲いていて欲しいし咲かせて上げたい。

野に咲く花の様に美しくありたいってぇのは強がりでしかない。

愛でられてこそ愛でてこそ、花。

愛でられている間が愛でている間が、花。


花よ、咲き誇れ。
posted by 玉置玲央 at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月16日

夢の終わり

久々に、プレ稽古から含めて三ヶ月、一つの作品に関わった。
何だか不思議な気分だ。


本当に色んな事を学んだ夢の劇という作品だが、一番特異点となり得るのは、森山開次さんとの出会いだ。

松本だけ、楽屋割りが違くて俺は何でか開次さんと同じ部屋だった。
そこで成された会話はその特異点の最たるもので、掻い摘んで言えば『許される存在』にならなければいけない、という話だ。
やはり表現者は最後はそこに至るのだなと。
そしてその意識は、踊りに捧げている人の方が強いように思う。

誰に許されるか、言うまでもない。


高校生の頃、学校のカリキュラムと、お付き合いしていた女性の趣向も手伝って、ダンスの世界に傾倒していった。
H.ART CHAOS、伊藤キム+輝く未来、コンドルズから始まり、パントマイムに興味を持ち水と油を知り、親父にこれを観ろ!と山海塾を勧められ、そこから大駱駝艦、大野一雄氏を知った。

身体が美しい

という事に、今思えば何か思うところがあったんだろう。
そんなダンス観漁り時代に出会ったのが、森山開次氏。

NHKの番組で、脚の甲を延ばす為に超無茶な事をしていたと話している姿を、未だにハッキリ覚えている。

何も無いところに無限の世界と感情と風景を、その身体一つで創り出す開次さんの姿にマジで惚れた。
俳優と一線を画すのは、その身体の美しさにある。
演劇思春期にそんなもん観てしまっていたから、未だに根底には『美しくなければいけない』みたいな使命感がある。
これは容姿や体躯もそうだけど、様式の美しさにも言える事だ。
腕が足が身体中が柔らかくしなやかに時にそれこそ刀みたいに動く。
憧れない訳が無い。

だから今回、出逢えて、そして踊らせて頂けた事を本当に有難く思う。

超スーパー烏滸がましいけれど、『許される存在』にちょっとだけ近づけたんじゃないかなと思って、帰りの新幹線で少し泣いた。

開次さん、本当に有難うございます。


amazarashiのアルバム『世界収束二一一六』に『吐きそうだ』という曲があって、その唄い出しが『生きる意味とは何だ』から始まるんですね。
それを考えると想うと聴くと、涙が止まらんくなる。

で、大阪でさっき村上誠基と会ってさ、あぁ俺の生きる意味はこれだって、思ったよ。

誰かの為に生きる。

それだけで良い。
それが良い。


という訳で柿喰う客フェスティバルモードへ。
アレクサンダー・クルックが、三御堂島ひよりが、君を突き刺す。


誰かの為に生きる。
必ず死ぬのが必死なら、俺は必ず生きる。

必生。
posted by 玉置玲央 at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月05日

VS

世界は本当に不公平だ。
足の引っ張り合いだ。
狡い事ばっかりだ。
そして同時にがっかりだ。


どんなに努力をしても、どんなに研鑽を重ねても、どんなに細心の注意を払っても、何にも考えてない欲望のままに生きる奴らがそれを掻っ攫っていく。
超スーパーウルトラポジティブマインドな自分としては、そういう奴はきっと何処かでバチが当たるし、その憂き目に遭った人は何処かで最高に幸せな事に出会えるって思ってる。
因果は巡る。
そう思える自分だけだったら。
自分が巻き込まれるだけだったらそう思えるけれど、でもこれが沢山の人を巻き込んでいるのなら、やっぱりそれは許されるべきではないんだな。

生きる上で、取り除けるリスクは取り除くべきだ。
誰かの為に生きれれば、それだけで色んな事に気付ける筈なのに。


松本の楽屋で、森山開次兄さんと『許される踊り手』の話をする。
これは『許される俳優』に通ずる話で、物凄く有難い話が聞けた。
やっぱり、森山開次兄さんは凄い。
完全無欠。
たまに電車の切符無くしたかと思って、あたふたしてる事あるけど。
完全無欠。

憧れはもう崇拝に近いものになりつつあるが、氏の孤高さはどこか居心地の良いものがあって、手を伸ばしたり触れても大丈夫なのだなぁと、直感的に感じる。
それが許されている。
誰に?
神に、だ。


岡田太郎から『いまさらキスシーン』の曲が届く。
脳汁がドバドバ出ている。


休まない。
休んだら血が青くなる。
ので、明日も演劇。

生きてていいなら生きてやる。
死んだ方がいいなら死んでやる。

そんな諦めにも似た前向きさで、レッツゴー。

posted by 玉置玲央 at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月24日

いづれ

朝、目が覚めた瞬間から、ジワジワと『あぁ、今日も本番なのだ』という柔らかな緊張感に包まれていくあの時間が好き。
周りが明るく開けていくような。
はたまた、どんよりと煙に包まれていくような。
ちょうど、水泳やっていた頃の試合の日の朝と同じ感じ。


こう寒いと、何を着て良いのか解らなくなりません?俺はなる。
着るものに基本好みは無く、あまり宜しくない考え方だが所詮は布、寒さ暑さを凌げれば何でも良いってのが正直な所。
なのだが、稽古着には拘りがある。
一体いつからかはもう記憶に無いのだが、稽古着は専らサルエルパンツ。
機動性、通気性に優れ、暑くなったら捲り上げられ寒くなったら足首まで保護出来る。
プラスアクトの対談で倫也も言っていたけれど、滾ってくるともうなんか知らんが服が邪魔になってきちゃうみたいなんですね。
そんな時にサルエルは便利。
ただやはり、自分が出ている芝居の性質上、消耗品かってくらいサルエルが朽ちていく悲しい悲しいああ悲しい。
カスガイメンバーに誕生日にもらったやつだけは、死守してやるのだ。
滾ってしまう方、サルエルお勧め。


iPhoneのメモに日々の雑感を書き留めていて、遡ったら2011年が一番古い。
そのメモの書き出しはこうだ。

ゼロでいる瞬間を沢山作る。
それによって芝居が生きる。

当時、河原雅彦さんに頂いた言葉を自分なりに解釈してしたためたメモ。
26歳の玉置玲央、31歳の玉置玲央、変わらないので安心した。


皆さんは、好きな台詞とかありますか?
好きな作品、好きな俳優、好きな演出家etcはパッと思いつくかも知らんが、好きな台詞。
出演したもので言えば、俺はやっぱり『朝日のような夕日をつれて』の冒頭と最後。
鴻上さんの衝動と滾りが感じられて、大好きだ。
生きる希望にすら繋がっているのは、つかこうへい氏のストリッパー物語『人は幸せになる為に生きている』だ。
これはストーリーありきな所もあるのだが、俺はこの台詞を『死ぬ人間に対して生きる人間には幸せになる義務がある』という言葉でもあると捉えている。


生きる人間はその生を、全うしなければならぬ。


天気、悪い。

posted by 玉置玲央 at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月19日

絵を描く事と文具について

小学生の頃、絵画教室に通っていた。
世田谷区を拠点に活動している、伊藤和子先生が俺の絵の師匠だ。
絵で、将来ご飯を食べていくのだと漠然と思っていたが、上には上がいてそんな人はゴロゴロで美大には行けなかった。
芸術に果ては無い。


デッサン、レタリング、水彩、油絵、アクリル、版画、平面から立体まで色々勉強させて頂いた。
先生は具象の作品より抽象の作品が多く、そこも大好きだった。
ああ、こんな事してしまって良いのか絵画に於いてルールなんて無いのだなぁと思えたのは、尊い。
具体的に言うと先生は、様々な紙に描いた抽象画をバラバラに切り刻み、改めてキャンバスにコラージュし、更に色を塗り重ねて一枚の絵を完成させるという手法を取っていた。
これが何でか不思議な魅力とエネルギーを持っていた。
なので俺も、抽象画にはまっていった。


高校生の頃になるとイラストを描くようになる。
当時は表参道のキディランドの前、路上で自分のイラストを売る方々が沢山いて、俺もそんな方々に混ざってイラストを売っていた。
キャラメルボックスの渡邊安理と、二人で行ったりもした懐かしい。
従兄弟が、これ面白いよと貸してくれたのが松本大洋氏の『花男』で、めちゃくちゃ影響を受けてずーっと模写していた。
そんな感じのイラストを描いては路上に並べていた。


中屋敷法仁がデーリー東北でコラムを書いている。
有難い事にその挿絵を描かせて頂いているのだが、小学生の頃から今に至るまでのそれらの経験が役に立っている。
絵を描くという事を、嫌いにならずに続けていて良かったなぁと強く思う。
絵は俺を嫌いかも知らんが、俺は絵が好きだ。


父が、中学生の時にステッドラーのシャープペンシルをくれた。
今で言う925 25シリーズの0.5mmのブラック。
今、黒は無いのだっけ?
その頃から俺はステッドラー党でミリペンも色々使い倒して結局ピグメントライナーに帰って来た。
水彩色鉛筆だけはファーバーカステルを使っているステッドラーごめんよ。

筆記具。
本当は、書ければ何でも良いべ?ってぶっきらぼうに笑い飛ばしたい所だが、やっぱり毎日使う物だし、特に台本などに書き込んだりする時にそのペンに愛着があると拘りがあると、台本も作品も演劇も、愛しいと思えるようになってくる。
毎日使うからこそ、そこに愛着と少しの幸福感があるだけで豊かになる。
俺にとってのその基準は、そのペンのデザインと書き心地である。


三菱鉛筆株式会社が出している油性ボールペン、ジェットストリームを皆さんはご存知ですか?
流行り物があまり好きでは無い自分はずーっと手を出さずにいたのだけど、柿喰う客の世迷言の稽古休憩時間に鉢嶺杏奈が急に文房具を皆に配りだして、その時に4&1をくれたのだ。
それ以来、油性ボールペンはジェットストリーム一択。


台本に書き込みをする際、人によって様々だがボールペンを使う人が多い気がする。
俺は変更があっても消せるように、シャーペンで書き込む。
昔は、台本を持ってポケットにシャーペン入れて柿喰う客の稽古やってると、シャーペンがぶっ飛んでぶっ壊れる事が多々あって、なので頑丈でペン先が収納出来るぺんてるのグラフギア1000を愛用していた。
今は専らシャーペンは置いて稽古をするようになったし、暴れ回る現場が少なくなったので、シャーペンをぶっ壊す事は無くなった。


そうなると文具好きの愛着求めとしては、心底愛せるシャーペンを求め始める訳だ。
それが昨日、ツイッターにも書いたロットリングの800の0.5mmに辿り着く。
悔しいが、重さ、握り心地、指に当たる感触、書き心地が最高なのだ。
そしてデザイン。
マットな黒にドスい赤でロゴが書かれていて、これがシンプルで素晴らしい。
ペンの上部を回すとキリキリキリ…という小さい音と共にペン先が繰り出されるその収納ギミックのインダストリアル感。
ああ…


いつかロットリングの800で、台本への書き込みも絵を描く事も、もっともっと愛せたらと思う次第である。


この話、文具好きじゃない人にはさっぱりだな。
今日も頑張ります。
posted by 玉置玲央 at 10:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする