2019年01月25日

覚悟が貫いて来た

昨年公開された映画『教誨師』で毎日映画コンクールのスポニチグランプリ新人賞をいただきました。


毎日新聞さんの取材でも話していますが、自分がどうとかじゃないんですこの受賞は。



感謝はどれだけしてもし足りません。


先ず、大杉弘美さんに。

『教誨師』という作品に俺を引き合わせてくださったのは弘美さんです。


佐向大監督に。

役作りに手こずっていた自分を見捨てずに課し続けてくれました。


スタッフの皆様。

映画初参加で右も左もわからない自分に本当に色んなことを教えてくださいました。


共演者の皆様。

全員が初めて顔を合わせたのは実は舞台挨拶の時で皆さま本当に気さくな方で座組の力を実感出来ました。

烏丸さんからいただいた言葉が心強かった。


応援してくださっている皆さま。

東京に限らず各地で支えてくださっている皆さまに頭が上がりません。


そして大杉漣さん。


ただただ報いたい応えたいと思って駆け抜けた結果でしかないのです。

自分は一旦置いといて、誰かがその時その時を引っ張り上げてくださったからここに辿り着いています。


これに関しては言いたいことがまとまりません。


だから。

本当にありがとうございます。

毎度お馴染みで恐縮ですが、お芝居で全てお返しします。

加えて、このご恩は次へ誰かへ何かへ、贈ります。



価値観を揺さぶる存在になりたいと思う。

だし、そういう存在に焦がれる。


最近、新しい価値観を打ち込まれるって経験をしてそれがあまりに強烈で、この快感からは逃れられないし逃れて堪るかって思いました。

一生喰らいついていくし一生引き下がりたくない、そういう生涯の感覚をくれる存在と、共にこの世界で生きていきたいものです。


脅威でもある。

焦燥もある。

劣等もあるし。

でもそういう存在に苛まれている方がよっぽど楽しいし充実します。


自分が立っている場所が安全かなんて、全然定かじゃないからさ。

自分でその脆さを知らなきゃいけないしそうやって立ち向かって対応していかなきゃ。

誰も安全を保障してくれないのだから、自分くらいはそれを確固たるものにしないとね。


感覚的に、という不確かな言葉の、確かな覚悟を見ることが出来たからまだまだ先に進めそうです頑張ります。



今日は稽古がオフだった。

お陰様で充実した休みを過ごせました。


明日からもまた、芝居をします。

見ていてください。


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posted by 玉置玲央 at 03:46| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月15日

きもち

表現者がみんな、曝け出すことに長けているのかっつったら意外とそうでもない、の巻。

そしてギャップ萌え、の巻。



ワークショップでも現場でもたまに取材とかでも言っているけど、俳優業はドMな仕事だと思う。


応え続けたり吐き出し続けたり集中し続けたり受け取り続けたり渡し続けたり貯め続けたり。

自分がやりたいようにやってハイ終わり!じゃないから楽しい。

楽しいのだけど多分、消耗も激しい。

その消耗すらも楽しいと思えたらきっと物凄い楽で、そうなれればどんな役もどんな現場もどんな作品も乗り越えていける。


この永久サイクルを求めている節がある。



特に自分の周りに多いけど、こういう表現活動している人ほど人見知りな方が多い。

というか、人見知りだから演劇やってるんだと思う。

他者になることを突き詰めて、繋がることを試み続けて、何か違う自分になりたいと足掻きまくっているんじゃないかな。


そういう人の爆発力は凄い。

舞台上で百獣の王のように叫び駆けずり回り、縦横無尽に発散したりするから舌を巻く。

でもそれはあくまで舞台上だけでの話で、舞台から降りた途端に礼儀正しく伏し目がちでボソボソ喋り、常に周りを気に掛けて目立たないように目立たないように過ごしていたりして、好き。

男女問わず、そのギャップにグッとくる。


俺はこれ、ギャップ萌だと思ってる。

違います?



まだ視てらっしゃらない方もいるだろうから詳しくは書けないけど、最近色んなところで『日常も高宮みたいな人だと思ってました』と言われる。


日常もあんな人だったら俺、大問題です。


なんのこっちゃな方は『教誨師』を、どうか視てやって下さい。



いつもは現実と非現実の境目が曖昧で、その温みと緩みにクラクラしていたのだけど、今はそこがはっきりしていて狼狽える。

本当にあったことなんだろうか、と馬鹿みたいに夢想する。

そんなことがこの歳になってもまだあるなんて思ってもなかったから。


言葉を主な武器として闘っているけど、言葉ほど伝わらない武器はないなって絶望している。

言葉以上に伝える手段が欲しい。


この抱えている尖った感覚を、貴様に伝えたいのだ。



引き続きブログお引越し計画を画策中。

その節はこちらでアナウンスしますね。


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posted by 玉置玲央 at 02:55| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月06日

抱負

小学生の頃の話。



この時期というのは当然ながら概念や倫理観など備わっておらず、対他者との関係性を慎重に測るなどということとは縁遠く、傍若無人に振る舞う者同士の衝突と懐柔の繰り返しだった。

パワーバランスだって何も気にしないでいてもほんの5分で変わり、さっきまでガキ大将だった子が次の瞬間にはイジメの対象になっているなんてざらだった。


K君。

彼は背が高く、顔立ちは海外の血が入っているのではないかという感じで、眼は淡い茶色で良く喧嘩をし、それでいて暴力を好むのではなく小学生特有の『納得がいかない時には拳を振り上げてしまう』ような子だった。

率先してみんなを先導する訳ではないがその見た目と振る舞いと、スポーツも勉強も出来たので自然と目立ってしまうタイプの子。


俺はK君と比較的仲が良く、当時から既にレアだったファミコンソフト『MOTHER』を借りて一緒に攻略したり、彼がどっから仕入れて来たのか分からないが有名な女優さんが出ているアダルトビデオを借りたり、俺は俺で外で遊ぶのが大好きだったので木登りや木工細工の作り方を教えたり、お気に入りの駄菓子屋に連れて行ったり、外で遊ぶ時はほぼ必ずK君を連れ回した。


うん。

あっさり言ったけど、当時小学校低学年。

我ながらませていたなぁ。


ある日、K君は急に軽いイジメの標的にされた。



この話は別に、当時イジメられていたK君を近しい距離にいたのにも関わらず助けられなかったことを未だに後悔している、みたいな懺悔の話じゃない。


むしろK君のそのイジメに対しての『気高さ』を、未だに覚えているっていう話だ。



K君の身体的特徴の最たる部分は髪の毛だった。

少しだけ栗色で綺麗な天然パーマ。


小学生は残酷だから『人と違う』ということだけを糧に人を攻撃することが出来る。

攻撃している本人からしたらそれは攻撃なんて大層なものじゃなくてちょっとした冗談やイジリの一種で、ただそういう人たちが集まれば集まるほど正しさの判断や相手の感情の機微を読み取る感覚が鈍る。

増してや小学生。

人と徒党を組んで『誰々君と一緒!』ということだけで楽しい理由になる。


焼きそば頭とかくるくるパーマとかパーマンとか言われていたなK君は。

そしてはたから見るにそれで傷付いているのかどうなのかは分からなかった。

それでも毎日毎日言われ続けていればストレスは溜まるもので、ある日それがついに爆発した。


でも振るったのは拳じゃなかった。

言葉。


『人の価値は髪型や髪質、来ている服や見た目で決まらないよ』



小学校低学年の口からこの言葉が出たことを、皆さんはどう思いますか?


俺は衝撃でした。

そして今でもこの言葉のお陰で己を貫けていると思ってる。

誰かに強烈に蔑まれる時、K君自身と彼の振るった言葉を思い出して己を保つことが出来る。


今思えばきっとK君にとってもそうだったんだと思う。

これを強く抱えているから彼は、強烈に、鮮烈に、生きていられたのだと思う。



中学校まで一緒だったK君はみんなの弄られ役になっていき、その強烈さと鮮烈さを馴染ませて普通に中学生活を送るようになった。

でもそれは何かを損なったとかじゃない。


更に気高くなったのだ大人になったのだ。

誰よりも先に。

その素養と、諦めと、覚悟と、気高さが、K君にはあったのだ。


今、彼が何をしているのか。

俺は知らない。



明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。


恩を贈ります。

演劇を贈ります。


相変わらず、強烈に、鮮烈に、生きていきたいと思います。

そうして、自分が生きることで誰かの人生にいい影響を与えたい。


K君のように。

posted by 玉置玲央 at 00:44| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月30日

年のせい

歳とって涙脆くなるってのは、別に涙腺が物理的に緩むからじゃない。

年齢を重ねて共感できるものの量が増えて、想像力が増して、思い出の既視感に色んなものが触れるから、だから感動して涙が出るんだと思う。

そしてそんなことはとっくのとうに誰もが気付いているということも知っている。


柿喰う客『美少年』を観ての話。



これからきっと色んなことが当たり前になって感動することにすら慣れて、立ち止まったり天を仰いだり足元を見なくなったり、身の回りの近いもの些細なことどんどんどんどん灯台下暗しになるのかもしれんけど、その都度いつも固まり始める思考と心をぐちゃぐちゃ揉み解して、なんでも抱きしめて許容できる人間で居たい。

この想いが届けって、諦めず意地汚く必死で情けなくてもいいから想い続けてきっと伝わると信じて、ボロボロに生きていきたい。


四六時中、帰る場所があるのだと思いを馳せられることを幸せだと思う。

四六時中、誰かに逢いたいと請い願えることを幸せだと思う。

それが届くかどうかは誰にも分からないけど、そうやって突き進めている自分のことを、少なくとも自分は好きだし肯定できる。


人を、ものを、ことを、疑う気持ちは一生消えない。

一度、痛い目を見たらそれがきちんと経験となってその後の人生を測れるくらいの道標になる。

猜疑心は恐怖ではなくて今自分がどこにいるのかを教えてくれる重要な感覚だ。

冷静に穏便に、でも迅速に『本当に知りたいこと』を騙し騙してそれでも核心に迫らなくてはいけない。

それが本当に難しいし心苦しい。


だとしたら。

自分で自分を肯定して。

正しいと思うことを正しく突き進むしかない。

同時に、その道中で取り零していく全てはもうその正しさの名の下に蹴散らすしかないのかも知れない。

灯台下暗しのその下にも明かりを当てて目を凝らして良く見据えて、そこに何かがあることをちゃんと認識してあげるだけで少しだけ、歩みの強さは変わるのかも知れないし。


演劇は、見過ごしてきた見落としてきた見ないようにしてきた足元にも道程にも全てにも須らく明かりを当ててくれている。

それの善し悪しを決めるのはやっぱり自分でしかなくて、何かと照らし合わせて比較して周りと歩調を合わせて判断するのはもうお終い。


誰かが奪い取ってくれる『何か』が自分にあることを誇りに思うべきだ。

誰かに奪い取られても生きていける『器』である自分を誇りに思うべきだ。


この世で誰かが自分を略奪すべく虎視眈々、それに思いを馳せて準備万端。

そういう愚かさだけで存在理由を慈しんでしまえ。

人は誰だって、安心材料をくれる誰かを欲しているのだから。



というのが、柿喰う客『美少年』を観た自分の感想。


劇団史上最高傑作を打ちかましてくれた中屋敷法仁、永島敬三、大村わたる、田中穂先、加藤ひろたかに

感謝。


だから我々劇団員たちは、行き過ぎているかもしれない愛情で支えています。



『ただそこにあるだけで幸せ』だと思える事象が好き。


帰ったらこれを食べようって思うことだったり、ふと見上げた夜空にオリオン座がクッキリしてたり、下北沢を疾走する笑顔の子供とか、思い遣りの傍に佇む愛情とか、バスが揺れること、お客様の破顔や、風呂に浸かりながら吸う煙草、お気に入りのカフェのお気に入りの席、遠いようで近いようでやっぱり遠い事実、シロップたっぷりのフレンチトースト、痛んだ髪に染み込む大切なシャンプーコンディショナー、そして圧倒的な夕焼け時間。


それらに想いを馳せるだけで幸せだ。



俺は滅多に怒らない。

怒りが頂点に達した時どうなるのか知らなかったけどようやく分かった。


諦める。


許容がないならもうお手上げなんだなと知る。



本年も大変お世話になりました。

また来年もよろしくお願いします。

全て芝居でなんとやら。


良いお年を。


写真は下北沢のお気に入りのコーヒーショップ。


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posted by 玉置玲央 at 03:22| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月25日

聖夜、思案

思い出せないことが少しずつ増えて来たのだけど、忘れたんじゃなくて深いところにしまっているだけで、ふとした瞬間にぶわーっと襲来しやがって恐いって瞬間、あるよね。



重ね重ねになりますが、舞台公演期間中や事務所に届くお手紙、プレゼントなど全て手元に届いております。

本当に活力になります。


皆さまの言葉、手紙という手段の労力、思い遣り。


手紙に関しては全て保管してあります。

キモいかもしれんけどたまに引っ張り出してきて読み返したりします。

皆さまからのお手紙を読み返すことで、あの公演の時はこうだったな、楽しかったな、大変だったなを、取り戻すことが出来るのです。


俳優業は『覚えること』が仕事のように感じられますが同時に『忘れること』も大事なようです。

なようです、と言うのは俺にはそれがあまりピンときてないからで、一度染み付いたものはなかなか忘れることは出来ないし冒頭に書いたように蓄積されて埋もれていくだけな気がしていて、本当の意味で忘れるってのはなかなか難しいんじゃないかな。

曰く、忘れないと新しい情報が入らないそうな。


厳密に言えばもちろん、ディテールは忘れているんですよ。

でも感覚や大いなる疑問や焦燥や、希望とか後悔とか強烈な部分はしっかり残っている。

そういうフワンフワンしたものをそのままにしておくと霧散してしまうから、どっかにしまっているんですな。


皆さまのお手紙はその保管庫?金庫?を開ける鍵です。

必要な時があるんですしまっているそれらが。


だから、ありがとうございます。



最寄駅の近くに立ち喰い蕎麦屋がある。

有名なチェーン店だ。


この店の店員さんの話。

は、一度置いといて。


学生街ということもあって道には大学の警備員さんが立っているし夜中の警察の巡回も多く、ツイッターにも書いたが良く職務質問をしていたりする。

つまり、公の人が多い街なのだけど。


どうにも俺はこの街で学生に間違えられる。

いやいやいや33歳のおっさんですよ?

若めの顔つきな自覚はあるけど大学生より10は上の俺を学生と間違えるのはどういうことなのかと、考えながら家路に着くことが侭ある。

なぜ学生に間違えられているのかが分かったかと言うと、この人たちには共通点があるからだ。


この人たちは基本、俺にタメ語なのだ。

相手はどんなに若い警察官でもせいぜい俺と同い年くらいに見受けられるし、警備をしている方々は50から60歳くらいの方々だ。

なのでタメ語になる理屈は分からなくはないが、いくら自分が歳上だろうとあまり関係の深くない、なんなら初対面の人に対してタメ語を使うという感覚は、俺は分からない。

つまり、侮られているという訳だ。

こいつにはタメ語でいいと、思われている訳だ。

加えて、俺の顔馴染みの警察官は俺が夜中にご飯食べに出歩くと『勉強の息抜き?頑張ってな!』と声を掛けてくる始末。


それはまぁいい。

言いたいことはただ一つ。


そういう人苦手


ということだ。


で、蕎麦屋の店員さんですよ。

この人も基本タメ語。

でもなぜか許せちゃうんですよねこの人の場合。

何故なのかがやっと分かりました。

この店員さんはいつもしっかりこちらの目を見てくれているんです。

そしていつもニコニコ対応してくれる。

食べ終わって食器下げたら『ありがとな!』ですよでも全然嫌じゃない。

意思の疎通がはかれてる、気がするから。


この『気がするから』って感覚は結構重要ですよ。

警察官や警備員の方たちは出会い頭、雰囲気を見ているんです目が全く合わない。

蕎麦屋の店員さんは人を見ているんです目が合う。

それだけで何か一つ疎通がはかれてる『気がする』もんなんですね。


そうなると完敗、学生に見られているのはこちらの努力不足と思わざるをえないんですな。


今、美少年という作品の手伝いで劇場に入り浸っていますけど、俺もかくありたい。

美少年が侮られたくないから、俺はお客様を客席で迎える身として皆さまの、雰囲気ではなく人をきちんと見て接しようと思う。

雰囲気と雰囲気を付き合わせてもフワフワしたものしか邂逅しない。

人と人のやりとりはやはり、有意義です。



悪いことばかりじゃあないんです。

若い役にキャスティングされたりしますから。

でも自分の振る舞い少し考えようと思う、クリスマスイブからクリスマスにかけての深夜、蕎麦屋からの帰り道に考えながら歩く33歳なのでした。



忘れよう。

posted by 玉置玲央 at 03:19| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月10日

玉置玲央のヤリガイ 2018大忘年ワークショップ

お知らせです。


月イチ開催しております玉置玲央のワークショップ企画ヤリガイ。


大忘年ワークショップと題しまして一年の締めくくりを演劇で。


最後の最後まで演劇と一緒にいたい。


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玉置玲央のヤリガイ 2018大忘年ワークショップ


■参加資格

健康で演劇が好きなら、年齢性別問わずどなたでも。

但し、俳優として舞台に立った経験のある方のみを対象とさせて頂きます。

今現在、高校や大学で演劇を経験している方はご参加頂けます。

未経験の方は申し訳ありませんが受講頂けません。

どうかご了承下さい。


■場所

都内某所

参加者の方にのみお知らせします。


■日時

2018年12月31日(月)13:00〜20:00

以上1コマ7時間


☆途中からの参加、早退のご相談もお受けします。


■参加費

4,000円


■定員

20名ほど


※お申し込みの先着順にて、定員に達し次第締め切らせて頂きます。


■お申し込み

kasuguy.mail@gmail.com


タイトルに

【ヤリガイ 2018大忘年】


本文に

1.お名前(フリガナ)

2.年齢

3.連絡先(電話番号、メールアドレス共に)

4.備考


を明記の上送信して下さい。

こちらから追って詳細を返信させて頂きます。

定員に達していた場合にも、ご連絡差し上げます。


※お申し込みの確認は、メールのタイトルを見て判別しています。

お手数をお掛けして申し訳ありませんが、どうかメールのタイトルをお間違えにならないようご協力をお願いします。

また、お手数ですがフリガナの明記をくれぐれもお願いします。


■内容

出来る限り長く演劇と過ごす為の、そしてプロフェッショナルな俳優を目指す事を目的としたワークショップです。


難しいことは考えず、2018年にヤリガイでやった全てをさらいます。

基礎的なことも身体もコミュニケーションもシアターゲームも全部。

とは言え、今まで参加したことがない方にも実りある内容にしますのでご安心を。


あと、僕の一人芝居『いまさらキスシーン』をやります。

それでどうにか皆様の演劇生活のお役に立てれば幸いです。


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このワークショップはそもそも、演劇を身近に感じて頂く為に開催しているものです。

あまり頑張らなくても、とてつもない覚悟が無くとも、良い意味で日常の近くに手軽に演劇を感じて頂けるようにと開催しております。

演劇を身近に、そして身近にあるからこそ大切に扱って、そうしてそれが誰かに大いなる影響を与えられたら、こんなに素敵な事は無いじゃない。


今日も、誰かの為に演劇を。


もし万が一ご予定が空いておりましたら奮ってご参加下さいませ。

ヤリガイに、どうかお付き合い下さい。

宜しくお願いします。


玉置玲央

posted by 玉置玲央 at 17:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月08日

新雪

ある人から言われた言葉がじっとりと張り付いていてここ5、6年はそればかりを考えていたし、自問自答して来た。

演劇に携わりながら。



『自分のお芝居は自分の為だけに使いたい』



俺は全く逆の思考回路だったので目から鱗が落ちる思いだった。

お芝居に携わる全ての人は、誰一人として自分の為にお芝居やっている人なんて居ないと、信じて疑ってなかった。


ずっと考えてる。


お芝居が好きという気持ちは変わらないのに、お芝居で袂を別つことになるのは悲しい。

その悲しさに多少の免疫はあるつもりでいたのだけど、ずぶりとそれが刺さって棘というよりはもう杭で、悲しい。


価値観を変えてくれる存在はいつだって尊い。

お芝居なんでやっているのかの理由の一つ、誰かがこの価値観をぶっ壊してくれるその快感を知っているからだ。

そこから新しい何かを取り込んで再構築して少しずつ馴染んでいく段階は、雪の日のまだ誰の足跡もついてない雪道を独り占めする時と同じくらい快感だ。

だから、自分が携わるお芝居を観に来て下さったお客様には同じ思いをしてもらいたい。


演劇で、演劇なんかで、たかが演劇で、人ひとりの人生がぶっ飛んでしまう狂う。

そんな体験をいつだってしたいしさせたいのだ。


でもこれは実は、誰のためにお芝居をやっていたとしても関係ない。

なぜなら答えを持っているのは発信する側じゃないからだ。

どんなに祈っても願っても尽力しても、判断は受け取ってくださる方に委ねられている。


だから演劇は平等だ。



ずぶりと杭になっているのはその可能性を感じているからだ。

受け取ってくださる方の反応が同じならばその過程は発信者に委ねられる訳で、そうなってくると恐らく、自分という存在は自分の為だけに費やした方が良いのだ。


なぜか。


この仕事は消耗が激しい。

何人もドロップアウトしていく人たちを見てきた。

死ぬその瞬間ギリギリまでお芝居を続けたい場合、その消耗を最小限に抑えるか、取り戻しながら続けられるような演劇生活を営まなきゃいつか潰れてしまうかもしれない。

それを避けるには、自分をきちんとケアして護って、自分。

自分に自分を費やすことを徹底しないと、簡単に潰れてしまう予感がしてきたからだ。


誰だって悲しい思いはしたくない。

棘ではなく杭なのは、簡単には抜けないからだ。


自分の中でぶっ壊れ再構築され馴染んでいってる価値観と共に、今になってその言葉の意味が良く分かる。


だから頭の片隅にずーっとある二律背反で。

人の為のお芝居。

自分の為のお芝居。



でもね、結論出ました。

あっさりと。


俺はもう徹底的に誰かの為にだけ生きることにしました。


なんでそういう結論に至ったかってのはまたいつか話せればいいなと思うけど、もう迷わないです。


見返りも労いもいらなくてもうただただ、自分の為に生きることは放棄して、演劇で、誰かの為に生きていきます。


裏切られたりボロ雑巾みたいになっても全然良い。

そう思えることに出会えたので。



という、宣言のブログでした。


小柳心に感化されて、やっぱりなるべくブログ更新しようってなった。


心くん、本当にありがとう。



否定したいんじゃなくて、こんなにも沢山の人に支えられて生きているのに、俺は俺のことだけ考えて生きていくのは無理です。


俺は俺の演劇で誰かを支え続けたい。

誰かに影響し続けたい。

誰かをぶっ壊したい。


誰かの新雪を踏みしめる、最初の一人に、なりたい。


なりたいのだ。


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posted by 玉置玲央 at 21:13| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月29日

10000の呟きよりも

更にまとめに入ります。

年内、ブログをもう一度更新する自信がないので今の内に。


ツイッターには雑感を、ブログにはその雑感の考察と正体を、書いていければ良いなと。

案の定めちゃくちゃ長い文章になると思います。

暇潰しに、是非。



『鉄コン筋クリート』が無事に終わりました。

関わって下さった全ての皆様に、尊敬と慈愛と感謝を。


初めて松本大洋作品を読んだのは『花男』で、親戚の家に遊びに行った時にイサムお兄さんが『絵を描くのが好きならこの漫画を読んだ方がいい』と言って3巻セットでくれたのが最初。

小学校高学年か中学生だったと思う。

そこからどハマりしていって『ZERO』からばーっと集めて、演劇始めてからは黒テントさんの公演で『鉄コン筋クリート』が上演されたことを知ったり、書き下ろしの『花』と戯曲『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』でテンションぶち上がったりしていました。


何より、我々の世代での最大の盛り上がりは『ピンポン』の実写映画化だと思う。

渋谷のシネマライズに公開初日に観に行き、パンフや指バンド?やオリジナルプリントのピンポン球を買い漁って。

うちら世代の演劇やってる連中にとって、窪塚洋介さん、宮藤官九郎さん、松尾スズキさん、大倉孝二さん方はレジェンドの域で、そういう意味でも凄まじい映画だったのです。


俺は絵を描くことを仕事にしたかったってのと、当時326さんが流行りこれまたどハマりしていたので、原宿のキディランドの前で自作のイラストをポストカードにして販売したりしていて。

バリバリ松本大洋さんに影響受けまくっているイラストを描いて売ったりしていました。

原宿、そういう時代があったのよ。


鉄コン筋クリートを読み、後に演劇を始めた当時の俺は『舞台版を今一度やることがあるなら、絶対に沢田かイタチをやりたい!』と思っていた。

そうして演劇界を生きてきたので、今回の舞台は自分にとって奇跡の公演だったのです。

こんな風に夢が叶うことなんてあるのかと。

神様がくれたご褒美だと思う。


もう一つ言っておくと古屋兎丸先生の『ライチ☆光クラブ』も20代前半だったかに読んでいて『舞台版を今一度やることがあるなら、絶対にタミヤをやりたい!』と思って生きて来ましたよ。


神様とネルケ様にただただ感謝です。


鉄コン筋クリートは、思い出の作品なんですよ俺にとっては。



さて。

この公演で沢山の発見があった。

答えはまだまだ出ないくらいフワフワしたものなのだけど文章にして整理してみる。

ワクワク。



座長力に関して、このブログで何回か書いたと思う。

要は座長とはどれだけ『支えてやるに足る人物と思ってもらえるか』を突き詰めた存在で、言い方を変えればどれだけ『愛され、人を惹きつけられるか』ということだ。


お陰様で自分は今日まで、素敵な座長と出会い続けることが出来たので『この人のために出来ることは全てやろう』という感覚がなんとなく分かっていて、安心して演劇に取り組むことが出来た。

無意識に無自覚に献身的で居られれば居られるほど、結果、自分の芝居に集中できてそれが座長を助けることになるのだなぁと思っていた感じていた。


でも今回の鉄コン筋クリートはもう少し違くて、なんだろう、例えば物理的に現場を盛り上げるとか雰囲気を良くするために冗談を言うとかじゃなくて、徹頭徹尾、芝居をしている姿でその背中で座組みのみんなの魂を掴んでくれたんですよ若月佑美は。

真摯に、健気に、直向きに、ただただ稽古を経て『クロになっていく』を実行している。

それを自分より10近く歳が下の女性がやっていて、自分の想像を超えてくる規模で実践していて、結構新鮮な体験だったんですよね。

そんなんもう尊敬だし、この人のために出来ることは全てやってやろう状態ですよ座組みのみんな全員がそう思っていたはず。


常々、自分のためにやる演劇の限界みたいなものを考えて来た。

誰かのためにやる演劇の無敵性みたいなものを考えて来た。

相変わらず、自分の満足や私利私欲のためだけに演劇に取り組むのは俺の性には合わず、疲れちゃうんですよねどんどん消耗してっちゃって。

自分以外の誰か、個人でも良い集団でも良いもしかしたら世界とかでも良いのかもしれない相手は。

そういう自分以外のために演劇を燃やし続けると助け合えて補え合えて、だって自分の中に演劇がある訳じゃないから、少なくとも演劇は自分の外にあるはずだから、物凄く楽だし楽しいんです。

他者がいて初めて成立する世界で、きっと誰かの中にも演劇は無くて、自分と誰かの『あいだ』にしか演劇は存在しない。


当然、口に出してこんなことを確認した訳じゃないけど、鉄コン筋クリートの座組みには座長と我々にその『あいだ』の演劇が相互にあって、それを芝居に対する態度で提示出来たのが非常に豊かだった。

若月佑美じゃなかったらこうはならなかっただろうという予感がプンプンしている。

加えて俺は原作も愛していて、もう今回の演劇に全て捧げます状態だったから、色んなものが相まるとこんなにも豊かな本番を過ごせるのかと、かなり充実していたのでした。

稽古段階で充実するのは今まで沢山あったけど、本番中での充実をこんなに実感したのは初めてだしその充実への持っていき方を掴めた気がする。

発見と発展と実践へ。



我らが座長がカーテンコールの挨拶にて

『客席に皆様がいて初めて演劇は成立するので、数ある演劇の中から今日この作品を選んで足を運んでもらえたことに感謝します』

って言っててさ。


マジで座長に恵まれました。



演劇をね、演劇以外の目的で乱用している方々ってのは一定数居て。

近しい仲間たちがそういう方々のせいで嫌な思いしたーって話を良く聞くんです。

あと、凄く目にする。


演劇の目的ってなんなんだいって言ったらそりゃ人それぞれ違うんだろうけどね、間違いなく言えるのは誰かを傷つけるための手段じゃないってことで、もし今、演劇で傷ついている人がいるのなら、それはあなたが選んだ演劇が間違っているからそこから今すぐ離れた方が良い。

あなたを取り巻く演劇が膿み始めているということだから今すぐ治療した方が良い。


演劇は誰も傷つけないし誰にも傷付けられない。


それが違えるというならそれは恐らく『演劇』じゃなくて『演劇のようなもの』だよ。

一番望ましいのはその状態を自力で、実力で、信念で抜本的に変えることなんだけど、誰も彼もが今すぐそれを出来る訳じゃない。

支配や暴力、権力の施行から来る恐怖ってのは簡単に拭えるものじゃないから、そこから離れる、逃げ出すってのは全然恥ずべきことじゃないよ。

むしろそこに立ち向かって付き合わされて、消耗させられて不当に干渉されて、ぶっ壊れてしまったら元も子もないから先ずは自分。

自分にとって『何が一番大切か』を良く考えて、自分を全力で守って下さい。


自分の価値を自分で決めてはいけない。

それは余りにも勿体ない。

誰かが勝手に決めてくれる。

ああそうなんだ程度に思えば良い。

のだけど、同時に誰かが蔑みもしてくる。

こっからが重要で、判断しなきゃいかん。

その謎の蔑みを受け入れるのか撥ね飛ばすのか。


決めるのは己でしかない。

決めたら、じゃあ、なんぼでも助けるから。

話聞くし相談乗るし闘うし一緒に。


一人で頑張らないで。


なぜなら我々は演劇で繋がっているから。



そろそろ読むの疲れて来たでしょうけど、まだまだ続くんです。


横になりながら、寝落ちするまでの暇潰しに、さ。



人を信じる、信頼することを突き詰めるこの仕事に従事出来ているのは、心底では人を疑っているからなのだろう。

信じたいから必死になる。

何か無いかと足掻く。


人は必ず、最期は一人だということを徹底的に叩き込んで生きてる。

だから最期のその瞬間までは、一人じゃなくいてやるんだって強く思って生きてる。


自分が絶望しても演劇はちっとも変わらずそこにいて、そんなものだと思う演劇なんて。


絶望なんかより、忘れなきゃいけないってのが俺は一番堪える。

無くなるってことだから終わっちゃうってことだから。

だから台詞はいつまで経っても抜けない。

でもそんなことは大事なことじゃないし本質じゃない。


究極、人は分かり合えないからそれぞれの『あいだ』にある演劇を持ち寄って擦り合わせてぶつけ合って分かり合おうとしてる。

分かり合えないことにこそ豊かさが溢れている。

そういう意味で、人を疑っている決して悪い意味ではなく疑わなきゃそこで誰かを慈しむことが終わってしまうから。

本当にそれでいいのか、それで正しいのか、それが誰かにとって相応しいのか、独りよがりになっていないか。

疑い続けなきゃ結論が出ちゃう。

人間関係に於いて結論出ちゃうことほどつまらんことはない。

人は刻一刻と変わっていて、状況も緩やかに変化していて、たった一つの結論で誰かと一緒にいるのはもったいない。

ずっと誰かを慈しみたいから、知ることを諦めないで感じ続けて、そうして疑い続けて生きていく。


演劇って愉しいよ。


だから俺は劇団にいるしきっとこの先ずっといる。

変わり続ける愛しいみんなを、一番近い距離で見ていたい。

それが結局自分のためになって願わくば永久機関。


増えていく共通言語と感覚、豊かさ、超越した先に何が見えるかを、俺は死ぬまで追い求めてみます。



この記事はそろそろ終わり。

長くなってごめんなさい。


鉄コン筋クリートロスだ。

得た感覚はこんな感じだ。


また急に書きたくなるかもだから、暮れの挨拶はしない。

そん時はまた『長ぇー!!』って読んでやって下さい。


またね。



自分らしく生きて否定されるというのなら、否定したらいい。

生きたいように生きることに罪はないのだから。


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2018年11月26日

脱け殻だ

今現在決まっている、年内の表に出る仕事が終わったので勝手にまとめます。

とは言え12月もバリバリ働きますし、柿喰う客の本公演も控えていますので絶賛演劇を燃焼させて生きていきますよ。


■1月

RooTS Vol.5『秘密の花園』

@東京芸術劇場 シアターイースト

かじか 役


TBS『都庁爆破!』

畑中 役


テレビ東京『モブサイコ100』

井上 役


■2月

杜の都の演劇祭2017コラボレーションプログラム『臥竜の天』

@仙台勝山館 日本料理 醇泉

伊達政宗 役


■3月〜5月

CAT PRODUCE『テイク・ミー・アウト 2018』

@DDD青山クロスシアター

メイソン・マーゼック 役


■6月

新国立劇場 開場20周年記念 2017/2018シーズン『夢の裂け目』

@新国立劇場 小劇場 ほか

三郎 役


■9月

Kawai Project vol.5『お気に召すまま』

@シアタートラム ほか

オーランドー 役


テレビ朝日『遺留捜査』

松野雄司 役


■10月〜

『教誨師』

高宮 真司 役


せんだい卸町アートマルシェ2018 『いまさらキスシーン』

@せんだい演劇工房10-BOX

三御堂島ひより 役


なんごう小さな芸術祭『くじらむら』

@八戸市南郷文化ホール

サブロウ 役


■11月

舞台『鉄コン筋クリート』

@天王洲 銀河劇場

沢田四郎 役


以上、舞台8本、ドラマ3本、映画1本が今年の仕事でした。


1年の間に『さぶろう』という役を2度演じることになるとは思いませんでした。


自分で言うけど2018年は発見と発展の1年でした。

こうなんじゃないかとかこうした方がいいかもと思って生きてきたここ最近2、3年の準備が爆発した1年。

それは精神的な面でも技術的な面でも充実していて、中でも感覚が軌道に乗り始めたと確信できたのは、ただ演劇やるって感覚が備わってきたこと。


無理をせずただあるがままに演劇と共にあって、そこに過剰な期待をせず冷静に、時に激情をぶち込んでやる。


そしてこの感覚を良しと『決めつけられるか』が大事なんだと思う。


信じること、祈ること、誰かを慈しむことは転じて豊かさに繋がると信じられた1年でした。

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2018年08月30日

価値について

最初から自分に価値があると思うから、そうじゃないと思わざるを得ない状況に陥った時に、余計にショックを感じてしまう。


自分で決めた自分の価値に期待なんてしないで過ごして、そうやってどこかで出会った誰かが自分に価値を見出してくれたら、その時ほど嬉しい瞬間はないでしょうよ。


誰も価値を見出してくれなかったら、価値を見出してもらえるまで己を磨けばいいだけのことだし、自分の努力不足を嘆くだけだ。


自分で自分の価値は決めない。

決めるのは誰かのために努力するという決意だけだ。

その決意の有無で、価値や感動が手に入るかは決まってくる。


いつか必ずどこかの誰かにこの想いが届けばいいなーって、願いながら生きていた方が、よっぽど健康的だと俺は思う。


受けた恩をどんどん膨らませていって、それを返すためだけにただただ。


自分にとってとてつもない大事件に立ち向かって、心身ともにズタボロになったって、必ず誰かが助けてくれる。

助けてくれるように生きる。

そしたらその恩を全身全霊で返す。

ずーっと、一度じゃなくてずーっと返す。


それを連綿と繋げて、ただただ生きていこうじゃないか。


今夜の月は綺麗ですね。

posted by 玉置玲央 at 23:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月12日

寝ましょう

自分の進むべき道を、緩やかに定める時が近付いている予感。



以前、こまつ座の『戯作者銘々伝』に出演した時、相島一之さんと共演させていただいた。

偶然、稽古期間中にドラマも一緒になりお陰様で仲良くさせていただきまして、その時に相島さんが言った一言。


『劇団員とはいえ、俳優は個人だからね。それは絶対だよ』


この言葉が強烈に残っている。



自分が何の為に俳優業やっているか、理由は人によって様々だと思う。

自分の為に、家族の為に、お客様の為に、お金の為に、地位と名誉の為に、どれも正しくてどれも否定出来ない尊い理由だ。

自分の身に立ち返った時、時々によって違うから何とも言えないけど俺は概ね『自分以外の為に』俳優業をやっている。

それが楽しいし性に合ってる。

そして絶対に心掛けているのが『中途半端なことはしない』だ。

失敗すると分かっている選択も、破滅しない限りは徹底的に貫き通す。

それは物理の部分ではなくて精神や魂の部分で。

じゃないとその選択をしたその時の自分に申し訳が立たない。


これから立ち向かうあれやこれやを、本当に自分のやりたいことなのか突き詰めて考えないと、人って簡単にやりたくもない、どうしようもないことをやっちゃう。

だって楽だから。

楽しいのは好きだけど、別に楽したいわけじゃなし、それに楽して見れる風景はそんなに感動しないし感動させられない。

間違いない。


俳優業はドMな仕事です。

でも俺は、身の回りの、未来の、どっかの、ドMたちが大好きだ。



それが『糧になるのか』を突き詰めて考えてみたら、もっとファンキーな日常が待ってる。


明日も炸裂に生きましょう。

posted by 玉置玲央 at 04:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月06日

決意を抱き続けるんだ。

お陰様で『夢の裂け目』の全ステージが幕を降ろしました。

ご来場下さいましたお客様、関係者の皆様、本当に本当にありがとうございました。



同業者から、またはインタビューなどで良く質問される

『一緒に仕事をしたいクリエイターは誰ですか?』

という質問に、俺は必ず

『栗山民也さんです』

と答える。


すると

『栗山さんの演出はどういう感じですか?』

と聞かれるので今度は

『魔法のように演出しますよ』

と答える。


なんのこっちゃですね。



今まで出会った演劇人の中で

『ああ、この人は魔法使いなんだな』

と思った人が三人いる。


一人目は串田和美氏。

この人の魔法はなんというか魔術に近い感じで、その魔法にどんな代償や制約があるか分からないままその魔法実験に付き合わされて、気が付いたら訳の分からん素敵な体験をしちゃってる、というもの。

全く、タチの悪い魔法使いなんです。


二人目は柴幸男氏。

彼の魔法はキラッキラで、とにかく楽しいに尽きる。

それは一緒に創作をしていてもだし彼の作品を観てもそう。

気が付くとそのキラッキラに包まれていてなんとも温もりのある演劇体験に連れて行ってくれる。

演劇界の白魔道士と言える。


そして三人目が栗山民也氏。

この人の魔法は何と言うか、凄いに尽きる。

物凄い速さで演出をつけていき、こちらが果たしてこれで良いのだろうか?という疑問を解決出来ないまま先へ先へと進んでいく。

そんな不安や疑問を何とか払拭出来た頃にはもう初日で、ええい侭よ!と舞台に立つと、つけていただいた演出が悉くお客様に突き刺さり最高の演劇体験に繋がる。

気が付いたら面白い演劇が完成しているという、手品のような演出をする魔法使い。



この栗山さんの『魔法』が何とも鮮やかで、俺にはとてつもなく居心地が良いのだ。

やることなすことを絶対に否定しないし、こうしろああしろと決めつけないし、こちらから出て来るものを尊重した上で更にどうすればもっと面白いものが出て来るか共通言語を探り続けてくれる。

潤沢に時間があろうがなかろうが、いつでも毅然とした態度で演劇作品の『完成の線』をビシッと引いてくれる。

そうして板の上に立つと、台詞や動きや台本がお客様に響いて、笑い、泣き、ハッとし、暖かい拍手へと繋がっていく。

それを受け取ってこちらは、ああこれで良かったのかと、実感の無さや疑問を持ち続けることの尊さを知ることになる。


ただただ『演劇』をやれば良いだけの環境を、栗山さんは創り出してくれる。


だから俺は何度でも、この方の演出を受けたいと思う。


そしてそれが、栗山さんの最大の魔力なのだろう。


『夢の裂け目』の夢の裂け目を、お陰様で堪能しました。

また必ずやどこかで。



DULL-COLORED POPの谷賢一が、ツイッターで呟いていた『芝居で飯を食えるようになる』ということに関する話、俺もちょうどそんなようなことを考えていた。


ただ俺は彼と違ってプレイヤーだし、少しだけ違う話になるかもだけど。



要は『覚悟』と『決意』の有無なんだと思う。

実際食えているかは分からないけど、それらがある方々の芝居にはやはり圧倒的に目を惹かれる。

と言うか、なんかおもろいすげー人だなーって人は大体みんな覚悟と決意が違う。


柿喰う客に居て良く考えるのは、劇団員のことを尊敬したい、尊敬出来るか、ということ。

その尊敬ってのは何なのかと言うと、覚悟と決意の部分が大多数を占める。

そしてそれは結局、劇団に限らず様々な現場で思うことで、覚悟と決意がある人とは一生付き合っていきたいし、もっと知りたいもっと知られたいと思うのだ。


これが多分だけど谷賢一も言っている『言い続ける』の部分に通ずるんじゃないかと思う。


言葉を操る仕事だから、言霊ってやつに敏感です。

言い続ける覚悟と決意。

現し続ける覚悟と決意。

貫き続ける覚悟と決意。


覚悟と決意。

それが演劇の命運を分ける。



SEMINARで初めて栗山さんの演出を受けて以降、所々で度々、栗山さんとまた仕事がしたい、一本でも多く栗山さんの創る舞台に立ちたいと言い続けていました。

その結果が『夢の裂け目』なんだと、信じて疑ってません。


この世は魔法と、覚悟と決意に満ち溢れている。

何を馬鹿なそんなファンタジーじゃあるまいし、と思うでしょう。

でも実際俺は演劇で、そんなファンタジーな想い沢山させていただいてます。


あとは自分次第ですよ。

そんなもんですよ演劇って。


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posted by 玉置玲央 at 22:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

朝、出勤中の電車にて

The 雑感。



Take me out 2018で初めましての方々が、夢の裂け目を観に来て下さるのが嬉しい。

更にそこから初めてお手紙を下さるという方もいらっしゃって本当に嬉しい。

皆様が思っている以上に、お手紙というものは我々の活力になっております。



一口に『手紙を書く』と言っても簡単なことじゃあないと思います。

自分も手紙を書くのでそれはわかってるつもりです。


便箋と封筒選び、俺はこれにめっぽう時間がかかる。

色々あり過ぎて迷っちゃうし文房具好きなもんだから紙質とかにも拘りだして選び終わる頃にはひと仕事終えた気分。

そして言わずもがな、そっから手書きで文章をしたためる訳です。


つまり、手紙の何が嬉しいかってその『労力と時間』な訳です。

他人の為に自分の時間を割けるということほど、豊かで素敵なことはないですよ。


皆様から頂いた手紙は全て読み全て保管してあります。

本当に本当に、ありがとうございます。



『理想の演劇形態』というものがあります。


望まれた現場、潤沢な予算、最強の座組、素敵な脚本、柔らかくも頑なな演出、開かれた裏方、力強いお客様。

言い方は様々ですが、そういう『陽』の要素が全て揃った演劇というものには、そう何度も出会えるものじゃあありません。

そしてそれらはとてつもなく贅沢なものですから、あって当たり前と思うのも違いますしもっと言えば、全ては自分で手繰り寄せる或いは自分で創り出すものだと心得ています。


演劇をやる上で俺は、お客様の存在は絶対に切り離して考えない。

作品の一部、のつもりで考えている。


上記で述べたのは『理想の演劇』であって『理想の演劇形態』とはちょっと違う。


実際にあった具体例が


柿喰う客を以前から観ていた

玉置が出てるから『秘密の花園』観に行く

そこから唐十郎作品に興味を持ったので花園神社で『吸血姫』を観る


というコンボ。


要は自分をキッカケに、演劇自体に興味を拡げてもらえたらそりゃあもう万々歳、理想の演劇形態という訳です。


『吸血姫』のあの熱気溢れるテントの中、恐らく勇気を出して声を掛けて下さったあなた、本当にありがとう。


演劇やってて良かったと思える、贅沢な時間でした。



プレイヤー側で、ご縁創りが流行れば良いのに。

そうしたらもっとおもしれーことになるよこの世は。


宜しくお願いします。


写真は新国立劇場で偶然というか必然というか会った、『お気に召すまま』で共演する玲央バルトナー。


二人の玲央。

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posted by 玉置玲央 at 07:45| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月09日

豊かさ

『夢の裂け目』という作品に、関わらせて頂いていることについての、あれやこれや。



どんな作品に携わる時でも、大事にしていることがある。


観に来て下さったお客様の人生を狂わせられるよう尽力する。


これだ。

もちろん、良い意味でですよ。

演劇にはその力があってそれを信じているから、作品と出会うのは楽しくてしょうがないしその作品を通してお客様と出会うのは、なお一層楽しい。


常に、誰かの人生狂えー!って祈りながら板の上に立っている。

し、祈れば届くと信じている。

そういう演劇に携われるように生きようと思うし、そういう人生を歩もうと強く思う。


『夢の裂け目』にはその匂いがぷんぷんしている。

誰かの人生を狂わせてしまう匂いが。

だから、言わずもがな観に来ていただきたい。

演劇で人生狂わせてみて欲しいのです。


そんなに悪いもんじゃないですきっと。


演劇は観ていただいて初めて作品になるので、どうか一緒にこの作品で人生狂わせましょう。


宜しくお願いします。



今年は『豊かな演劇』に恵まれている。

ただそこに演劇があるだけで全てが成立している作品たち。

これって凄く素敵。


演劇を創るということが、須らくこうであって欲しい。



紫陽花、ぶりっぶりに咲いてますね。

箱根か鎌倉か京都に行きたいものです。


昔、赤羽公園で見た紫陽花が未だに忘れられん。


追憶。


写真は頂き物。

根津権現さんの腰掛石!


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posted by 玉置玲央 at 21:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月30日

夏が近い

ブログのデザインを変えたので、試しに投稿。
写真を撮るのはやっぱり好きだ。

入道雲こんにちわ。

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posted by 玉置玲央 at 23:09| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月29日

伝われ

伝える、という話。



何のために演劇をやっているの?と聞かれることがまぁあるのですが、例えばそこに義務感みたいなものは無くて言ってしまえば愉しいからやっているってのが本音。

愉しいなぁ、ありがたいなぁと思ってただただ演劇やって来て、お陰様でご飯を食べるに至れているのだから感謝感激な訳です。


逆を言えば、何か義務感で、或いは愉しくなくて、あと何となくで演劇を続けているのだとしたらこんなに長続きしなかったろうなと思う。

自分を甘やかしているとも言えるけど、好きなことだけやって生きていくことは決して悪いことじゃないなと思っている。

でも好きなことだけやる為には然るべき責任が伴うし、やらなきゃいけない好きじゃないことってのも絶対にあって、でも持ち前のスーパーポジティブマインドのお陰でそれすらも愉しい、演劇の一部だと思えて今までこれたから我ながら本当におめでたい。


何もかもとはいかないが、あなたがもし演劇を愛しているなら、演劇だけじゃなくてそこに伴うありとあらゆるものも演劇に影響を与えている演劇の一部だと思って捉えてみてほしい。

途端に全てが上手く廻り出すかも知れない。

演劇は演劇だけで完結せずきっと日常や娯楽や他人や世界と繋がってその真価を発揮するから、もしかしたらあなたの演劇を豊かにするヒントは、思い掛けないところに転がっているかも知れませんよ。



柿喰う客の稽古場に行き、にんぎょひめの稽古を観て、カメラで写真を撮り、蕎麦とカツ丼を食べ、ドトールでカフェラテとミルクレープを頂き、劇団員たちと語り合う。

それがそれこそが、俺の演劇を豊かにしてくれるのです。


そんなものなんです演劇なんて。



そしてそんな感覚や感情を烏滸がましくも色んな方に知って欲しいから、ワークショップやったり高校の先生やってるんですね。

自分の世界を自分だけで終わらせない。

人と世界と繋がることで、俳優には価値が生まれる。

と、これは栗山民也氏の言葉。


俺もそう思います。


引き続き、演劇のことだけ考えて、生きていきますアタクシは。

posted by 玉置玲央 at 21:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

たまるか

連日、新国立劇場『夢の裂け目』の稽古に勤しんでおります。


2003年アメリカよりも1946年日本の方が難しい。

そういうところに、自分が現代に生きている俳優である実感と、演劇の難しさの深淵を覗き込んでいる気がしていて、いやはや演劇というやつは憎い。


憎いから愛しい。



ここ数日、何とか都合をつけて観に行けた芝居が


悪い芝居『ラスト・ナイト・エンド・ファースト・モーニング』

月刊「根本宗子」『紛れもなく、私が真ん中の日』

舞台『黒子のバスケ IGNITE-ZONE


の三本でした。

劇団員たちの活躍めざましい作品ばかりでした。


毛色の違う三作を観て思ったのは、最近の自分は身体への興味が馴染んで溶けて、今は言葉や戯曲の強さみたいなものに惹かれているという事実だ。


身体への興味が無くなった訳ではなく、それが自分にとって当たり前のものになって近しいものになっている感覚で、そうなると俄然興味は言葉の強さや意味、戯曲のメッセージ性や作家の叫びみたいなものに自然と向けられて行く。

相変わらずコミュニケーションというものへの興味も尽きないが、頭で述べた現代を生きている俳優として今取り組まなきゃいけないのは、台詞、言葉、戯曲などなどのような気がしてならない。


それは映画『教誨師』での経験、大杉漣さんとの邂逅がでかいのだけど。


まるで生まれ変わったような抜本的な『何か』が、自分には今必要なんだと言われてる。

んだと、思います。



ある噂を耳にしました。

玉置玲央、柿喰う客辞めちゃうんじゃないかと。

お客様の中でそういう話が上がってるとか上がってないとか。


辞めません。

辞めてたまるか。

posted by 玉置玲央 at 13:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月09日

教育と演劇

学校の先生をやっています。
経緯はいつか話すとして、朝一から生徒と過ごす時間が自分には物凄く大切。


通勤に役1時間かかるのだけど、1時間電車に揺られてるこの時間が好き。
年がら年中演劇に携わっている自分としては、日常に触れている時間の質、豊かさってのが非常に大切で、この1時間は貴重な考えをまとめたり調べ物したり台本読んだり出来る時間。

良い。


着々と『夢の裂け目』の稽古に勤しんでいます。
あんなに長かった茶髪を断ち切って、今はものすっごい短髪。
頭さみーさみー。

頑張りまする。

posted by 玉置玲央 at 13:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月08日

感謝感激雨霰

Take Me Out 2018が無事に閉幕しました。

まずはご来場下さいました全ての方に感謝を。


観に来て下さった皆様が本当に色々な考察をして下さっていて有難い限りです。

少しだけ、どういう心算で取り組んでいたのかという話をしようかと思います。



まず、極めて個人的な話からで申し訳ないけどこの作品は、自分の中でも『会心の一撃』な作品だった。

自分がやりたいこと、演出がやりたいこと、共演者がやりたいこと、プロデューサーがやりたいこと、それらががっつり噛み合って良い意味で全くもって隙がない作品に仕上がった。

加えて、自分が必死こいて戯曲を読み解いて、メイソンという役を始め登場人物一人一人について思いを巡らせ、それを結んで行ってそうして演出の藤田俊太郎の観せたいものへと昇華させられたという意味で、これ以上無い演劇創作体験が出来たという手応えがあった。

人生でそういう作品、現場に出会えることはなかなか無いのです。

感無量でした。



何もかんもすっ飛ばして簡潔に言うと、皆さんが考察して下さっていることは全部あってます。

これを言っちゃあおしまいだけど、全部正解なんです。

だって答えなんてないから。


少なくとも俺は、メイソンと一緒に毎日を過ごしてその日産まれる感情や思いや関係性を、ただただ素直に出していただけです。

だからきっと何度も劇場に足を運んで下さった方は解るはず。

二度と同じシーンが無かったってこと。

それは稽古の時からそうで、毎日、毎ステージ、同じ瞬間は一度も無かった。

だから具体的なことを言えば『本当に、悲劇だった』だって、メイソンの個人的な悲劇だった時もあれば全然悲劇じゃない時もあったし、もっと大いなる何か、例えば神様に対して怒りや悲しみをぶつけていたこともあったし当然あの物語の中で起こった出来事に対して言った時もあった。

直前にダレンから告白をされても、その『悲劇』は変わらず『悲劇』なんです。

なぜならTake Me Outはそういう物語だから。


だから、さっきの『会心の一撃』の話も相まって全て、なるべくしてなる結果でそれは解っていたことなんです。



ただ、圧倒的に想定外だったことが一点あって。

偉そうな物言いになってしまうかもしれないけれどそれは、言わずもがなダレン・レミングを演じた章平の凄まじい成長速度だ。


元々、受信能力がずば抜けてる章平が、公演期間中に発信する楽しさを手に入れてかつ、それをコントロールして打ちかますようになっていったこと、これが一緒に芝居やってて楽しくて楽しくて仕方がなかった。

目の前で表現者が化けていく瞬間を見ていられるというのは最高ですよ。

やりとりに果てがなくて、これはどこまで行けてしまうのだろうと日々ワクワクしていたものです。


それが出来たのは、座組の誰もがこの作品を諦めなかったからだと思ってる。

40ステージという昨今なかなか無い長丁場を誰一人として消化試合にしてなかったから、果てがないという余白を導き出せたんだと思ってる。


そりゃあ全部正解になりますよ。

そういう演劇だけ、本当は存在しているべきなんだけどね。


出会えて良かった。



長くなりそうなんで締めます。


今、2003年アメリカのゲイのユダヤ人の会計士から、1946年の日本の復員兵になっていってます。


演劇って本当に凄いよこんなことが出来ちゃう。


TMOに限らずね、演劇に携わってくれた人の人生が狂っちまえって切に願うよ。



言葉のナイフがザックザクに刺さります。

ずーっと。


こればっかりはどうにもならん。

posted by 玉置玲央 at 03:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

柿喰う客

自分が所属する劇団『柿喰う客』について、書いてみる。

初めて文章にしてみるからぐちゃぐちゃだけど、読んで頑張って書くから。


興よ乗れと願いながら、書くから。



柿喰う客フェスティバル2017に於いて最後に産まれた作品『極楽地獄』を観る。


俺は柿喰う客の創設メンバーで、旗揚げから居る。

もっと言えば旗揚げ前の、中屋敷法仁が一人で、劇団ではなくプロデュース団体として暴れ回っている頃から居る。

それを踏まえてこの『極楽地獄』という作品は、当時の、俺たちが20代前後のどうしようもない小僧だった頃の柿喰う客を思い起こさせる作品だった。

と同時に、柿喰う客の『最新形態』の作品であった。


どゆことー?



柿喰う客が標榜する『圧倒的なフィクション』という作風は、やる人受け取る人にとって意味合いは様々だと思う。

例えばマシンガンのように繰り出される台詞速度や、過剰なまでの身体酷使、客席に正面切って打ちかます鈍器のような言葉とか、目まぐるしく変わる音、明かりとか。

こういった良く目にする耳にする柿喰う客の感想がわかりやすいんじゃあなかろうか。

今回の『極楽地獄』では、扱っている重苦しいテーマに対して、上記の虚構性たっぷり要素をこれでもか!と押し出すことによって、圧倒的なフィクション足り得ている部分が多いと思う。


のだが。


加えて何が俺を20代の小僧に舞い戻らせたのかと言えば、もう一つ良く中屋敷が口にする『皮肉と悪ノリ』の部分。

作品にじっとり纏わり付いているこれが、柿喰う客の圧倒的なフィクションの大部分を担っていて同時に、懐かしーい気持ちにさせたのです俺を。



今から約10年前の柿喰う客を知っている方々が、お客様の中にどれくらい居てくれてるだろう。

当時の柿喰う客は出演者が多い時は50人以上、ゴールデンタイムのお茶の間だったらチャンネル変えちゃうようなド下ネタや、いやいや不謹慎だよってな内容の作品を上演し、大体クライマックスで出演者全員で1曲唄って踊り、最後にピリリと締めてカーテンコール、な団体でした。


今にも通ずるところではあるけど、中屋敷法仁の演出で眼を見張る点は、その多過ぎる登場人物を漏れなく『死なす』ことなく、必ず全員印象付ける手腕にあって、どうしてそれが出来るのかと言えばこれまた本人が公言する『僕は俳優さんの一番のファンなんです』という言葉に違うことなく、俳優個人個人の能力や長所を良く見ていて、更にそれを的確に作品に配置出来る能力を持っているからだ。


中屋敷法仁は実に『優しい演出家』であり、俳優が出して来た訳のわからんプランや芝居を受け容れてくれる。そしてさっき言った通りそれを巧みに芝居に組み込んでくれる。

少なくとも当時の自分は、それが嬉しくて堪らなかったからもっと面白いものを、もっと訳わからんものを、もっと熱量のあるものをと、繰り出し続けていた。中屋敷も面白がってじゃあこうしよう、こういうことは出来ないか、こっちの方が良いんじゃないかと、相乗効果で魍魎跋扈する作品を共に産み出していった。

若い時なんて箸が転がっても面白いし、集まってワイワイしているだけでも楽しくて、そこに更に誰々には負けたくないとかもっと誰々に影響したいとかもっと面白いものをもっと下らないものをと、若さ故の競争心みたいのが相まってその相乗効果はどんどん昇っていって。

でもその相乗効果の正体は実はそんなに大したものじゃなくて、先ずは中屋敷や共演者を、びっくりさせたい笑わせたい楽しませたい狂わせたいっていう、言葉を選ばずに言えば『究極の内輪ノリ』ってなだけだった。

大袈裟にかつ美談のように語るけど、その『究極の内輪ノリ』を磨きに磨いてお客様の為の『究極の内輪ノリ』にしたものが、今現在標榜している『皮肉と悪ノリ』の部分なのだと思う。

要は柿喰う客の芝居は、ふざけてなんぼなのです。

ふざけるの超大事。

語弊あるな、そんな『つもり』で取り組むの大事これは出演者として、ね。

アフタートークでも度々話題に上がるけど、真面目な流れにどうして急にふざけたシーンや芝居が挟まれるのかって、お客様に準備してもらう為なんです次に訪れる真面目なシーンのハードルを下げる為なんです真剣に肩肘張って観てなくて大丈夫なんですよーって伝える為なんです。


その匂いが雰囲気が『極楽地獄』にはプンプンしていたから、だから懐かしーい気持ちになったんですよ。

大人数でワイワイと、人によっては拒否したくなるような内容を、圧倒的なフィクション及びちょこちょこ差し込まれる下らんことで包んでお届けするそれ。


ザ・柿喰う客、である。



しかし『極楽地獄』はそれだけじゃあない『最新形態』なのである。

じゃあ何が?

そりゃああんた、出演者よ。


こればっかりは観て!としか言いようないけど、


永島敬三


を観て見て視て欲しい。


上手い俳優は日本全国居るだろうけど、アレをやらかせる俳優は居ない存在しない唯一無二。

声量、滑舌、運動量、呼吸、温度、筋肉の緊張と弛緩、照明効果と音響効果の纏い方、どれをとっても柿喰う客の最先端を担っている。


中でも永島敬三の一番に凄いところは、ゴメンこれものすごーく抽象的な話になるけど『抜刀/納刀』の美しさにある。


所作から所作、表情の強張りから抜くまで、移動して立ち止まるまで、アレやこれやの動きが瞬間的に放たれるのではなく、きちんと滑らかに段階を踏んで繰り出される。


こっからマジで意味わからん話になるかもだけどついてきてカモン!



柿喰う客の動き、それから音、明かりとの付き合い方ってのは結構シビアで、例えば『ギュイーン バシュ』みたいなSEがあったとしたら、照明は『ギュイーン』の間はバックからの明かりで俳優をシルエットにし『バシュ』で俳優を際立たせる白味の強いトップ明かりにカットチェンジ、SE鳴り終わりを拾って地明かり気味の明かりにフェードで変化していき空間を広げる、ってな展開をする。

音はその照明のフェードの変化に乗って行くように同じくフェードで、次の不穏なMがイン、不穏を緩やかに煽る、としたら。


俳優側は極論を言えば『ギ』で動き出して『ュ』で止まれれば万々歳。

身体をブらすことなくしっかり地に足つけて『止まる』ことを意識してそれを遂行する。

身体の雑味、詳しく言えば身体に染み付いた慣性や癖は徹底的に抑えて『見応え』に貢献させる。


のだけど例えば照明は『ギュイーン』の間中カットチェンジとは言え変化し続けているし、俳優は『ュ』で止まるのだけどキュー、つまり卓のボタンを叩くタイミングとしては多分『バ』で叩くことになるはず。

なのでたった1秒くらいの時間だけど刹那に変わっているように見える明かりも段階を踏んで変わっていて、それに俳優も乗っかれなきゃいけない。

何が言いたいかと言うと『ギ』で動き出したら『ュイーン』の間はじっとり動き続け『バ』でワンアクセント、例えば本当に一瞬身体をロックして『シュ』で身体をぶっ殺す。殺すってのはさっき言った雑味を排除した状態。で、次の明かり及び音のフェードの変化スタートに合わせて『一緒に』次の身体の状態に展開するってのが、非常に美しい状態。


俳優の動きで言ったら『ギ』で動き『ュ』で止まるの中にこれだけの『タスク』がある、というか込められる。


で、だ。


これが出来ていて更にそれを凌駕するものを打ち込めているのが、永島敬三なのだ。

筋肉で以上を遂行するのは簡単なんだけど敬三は加えてしなやかさがある。

その始まりから途中の滑らかさと納めの美しさが、まるで刀の『抜刀/納刀』のようなんですね。

さっきも言った通りこれを動きだけじゃなく台詞、表情、もっと言ったら雰囲気にまで適用させられるのは、日本全国探しても敬三以外いない。


永島敬三は柿喰う客の10年前を知っている。

そしてそして今現在、外部演出を含め中屋敷法仁演出を一番受けているのは敬三だ。

昔と今を繋いでいる永島敬三がトップ張ってる作品が『極楽地獄』な訳で、この作品は唯一無二のハイブリッド柿喰う客足り得ているのです。



訳のわからん話をごめんなさいね。


はっきり言おう。


『極楽地獄』を目撃して欲しい。

そして『柿喰う客フェスティバル2017』に参加して欲しい。

他の作品だって間違うことなく『柿喰う客』だから。


大層な話も表現も、お客様あってのものだから。


好みや面白いかは別として、こんなすげー劇団無いから。


よろしくお願いします。


http://kaki-kuu-kyaku.com/next.html

posted by 玉置玲央 at 16:26| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする