2011年05月21日

ムダアシ

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これは、柿喰う客が新メンバー交えて飲みに行った日に、永島敬三が捻り出した大喜利。

こういう所が、彼を劇団員に迎え入れるに至った、大きな要因だと思う。

永島敬三
大村わたる
右手愛美
葉丸あすか

が、柿喰う客に加わります。
10人体制で、やっていきます。



HPの説明にもある通り、公演事業を拡大する為に、新メンバー加入は必須でした。
事実、俺は
ながぐつをはいたねこ
流血サーカス
に参加せず、更に
ナツヤスミ語辞典
悩殺ハムレット
には参加しない。

これは、中屋敷と相談し、客演の予定を入れたからである。
それが自分には必要だと思ったからである。

自分が居なくても劇団の活動は当然続く。
と言うか、続くように、新メンバーが入ったのだ。
当然、これは自分だけの話ではない。
他のメンバーだって同じ事だ。

この時期は劇団の人間は誰々しか居ません。
だから劇団宛のそのオファーは受けられません。

という事態を回避する為に。

だからと言って、必ずしも仕事を受けやすくする為に人数を増やしたのではない。
それだけではない。
そこには確実な信頼関係があって、一緒に芝居を創りたいという想いがあって、新メンバー加入に至っている。

じゃなきゃ、この四人に白羽の矢は立っていないのだ。



永島敬三について語る。

敬三との最初の出逢いは、正直どんなだったか忘れてしまった。
真説・多い日も安心
が初参加だった訳だが、どういう訳かもっと昔から居たように感じる。

そん時も、まぁ抜群に面白い事をやってのけてたのだが、何よりやはり
悪趣味
での敬三が、俺には物凄い気持ち良いのだ。

死んだ魚のような目をしている

と、俺は敬三を評する時によく言うのだが、これは誉め言葉だ。

キリンバズウカ

sumeru
の時の敬三の目。

表情も言葉も身体もきちんと生命力を発しているのに、目だけは死んでいて。
その時の役にどはまりしていた。

加えて悪趣味の時の様に、物語を背負い進行させる事も出来るし、柿喰う客にとって非常に重要な要素『すべる』役も出来るので、むむむと唸った訳だ。

キリンバズウカのログログを観た時は、
あ、こいつ何でも出来るな
って思った。

極めつけは
ひょっとこ乱舞

である

敬三の台詞は正に、水の様に滑らかでかつ立ち姿やらなんやらも美しく汚かった。
良い温度と勢いで、台詞が耳に入ってくる。
だらしのない立ち方と手遊びが映えた。

ながぐつをはいたねこ
での身体の効きっぷりも、惚れ惚れするものがあった。

まあ要するに俺は何を長々書いてるのかと言うと、敬三が好きなのだ。
俳優としても人間としても。

尊敬している。

正直敬三が居れば、安心して劇団を留守に出来るなと思ってる。
一線越えの狂った感じはまだ任せられないが、骨格創り、進行、茶化し、すべり、機動力や俊敏性、オールマイティーに任せられる。

だからと言って、進んで劇団を留守にする気はないよ。
俺だって敬三と共演したいもん。

でもこれから先の俺が不在の際には、これでもかってくらい頼ろうと思っている。

そんくらい一目置いてんだ俺は敬三に。

取り敢えず、11月までの全ての公演は、おまえに任せた。
頼んだ。



愛と真摯について。

一時に比べると俺は、演劇への愛を叫ばなくなった気がする。
そんな事ないのか。

努めて叫ばないようにしている訳ではない。

それでも方々から、

玉置玲央の演劇への愛情や真摯さは云々

といった、有難いお言葉を頂きます。
有難い。

そんなん言われて迷惑だ
って話ではなくてね、純粋な疑問として、そう思って下さっている方はどうしてそう思うのですか?

そんなに俺は表に出しているつもりはないのだけれど。

もうなんか色んな人に言われるから、

俺は演劇愛している
真摯に取り組めてる

って、事なんだなぁって、本当に有難く思うのですよ。

誰か教えて。
俺の演劇に対する愛やら真摯さは、何で測られてるの。

自分でも見失いがちな、大切な事なんですこれは。



大阪に向かってます。
稽古の為に。

生還を願っていて下さい。
posted by 玉置玲央 at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月17日

アウサカ

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煌めいている通天閣。
揺らめいている朧月。

ここは天王寺。
逢坂と書いておおさかと読む土地。

から帰宅。
二日間の終日稽古を終えた。
疲れた。
休む暇が皆無。



逢いたい人が沢山居るのに、時間が足りない。
あと頭が痛い。



楽しみな出演舞台が山積みだ。
その全てに真摯でいたい。



新しい眼鏡が欲しい。
posted by 玉置玲央 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月14日

ハクアイ

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長いですよ。



人は、いつ死ぬか解らん。
違う言い方をするなら、いつ死んでもおかしくない。

だから悔いの無い生き方を
とか
いつ死んでも良いように
とか
ではなくてね。
したい話は。

箱庭円舞曲
珍しい凡人
が無事に終わって一番の安堵は何故か、
死ななくて良かった
死なずに済んだ
生き残れた
って感覚だ。

別に、死にかけた訳じゃないし、その片鱗を見た訳でもない。
でもそう思って、安堵している自分がいるから笑える。
安堵。

須貝英は
演劇は修行だ
と言う

俺はご存知
演劇は愛だ
と言う

でも今回ばかりは、須貝英の言い分が少し解った気がした。

暖簾に腕押し
とでも言おうか。
手応えの無さ
ってのは、結構意外と恐怖で。
それは別に、面白い演劇なのかとか、自分はやれる事をやれるだけやったかとか、そういうのではなくて。

何だろう。
役と自分の距離がニュートラル過ぎて、演劇という特別空間、特別状態に身を置けてなかった感覚があるからなのだと思う。
それは役と同化するほどのめり込んだという意味ではなく。
簡単に言えば自然にアプローチ出来たという事なのだが。

でも、その自然具合が俺には今回恐怖だったようで、やってもやっても手応えがなくて。

その、何にも掴めてない感が永遠に続く中、演劇に寄り添うのはどうやらしんどかったようだ。

演劇を嫌いになるしんどさではない。
暗闇の中を、程良く慣れた目で歩くような。
一歩先は薄暗く、二歩先からは途方も無い闇。
歩けなくはないが確証の無い旅路を行く感覚が。

これは修行だ
と、漠然と思わせたのだ。

詳しい事は須貝英のブログにその内アップされるであろう記事を見てほしいが、今回、須貝英にとっては半端無い修行だったろうと思う。
なんのこっちゃ
と思われるだろうが、俺はその事を思うと泣きそうになる。
須貝英の心中を察せ過ぎて同化して俺の心も痛くて泣きそうになる。。
演劇は修行だ
と言う須貝英のその言葉の意味が解り過ぎて、辛かった。

だからその感覚が俺自身にもきちんと芽生えた時、
これか
と、唸った。

そして間違いなくその修行から無事に生還して、安堵した。

安堵したのだった。
安堵したのだと思う。

でもそれでも、人には必ず死が訪れるんだから、畜生神様畜生ありがとうふざけんなとか、思う。

思います。



信頼の話。

打ち上げでは、しこたま井上裕朗氏と話した。

俺と裕朗さんは今だから明かせるが、プライベートであまり仲良くならないようにしていた。
筈だ。
どちらから言い出した訳ではない。
暗黙の了解で、ある一定の距離を保っていた。

開演直前の袖中でも
宜しくお願いします
なんて声を掛けたりはしなかった。
頑張ろうって握手や抱擁も無く。

兎に角、全ては暗黙の中当然のようにやりとりされていた。

今回が初共演、歳も一回り以上違う裕朗さんと、ここまで色々と共有、意思の疎通が取れたのは何故か。

という話を、したのだ打ち上げでは。

最後の二人のシーンは、11ステージ全くもって違った。
同じ事態になった回は皆無。
通らなきゃいけない道も、到達しなきゃいけない地点、着地点も特に定めていなかったので、舞台上でのやりとりを唯一手繰り寄せて、あのシーンを創っていた。
でもそれも努めてではない。
必要なら必要な分だけ受け取るし、要らないものは即効捨てたり、必要以上に渡したり。
そういう事を
やらなきゃ
と思ってやった事も一度もなく。

どんなものでも確実に受け止めて、確実に何かを上乗せしたり削いだりして返してくれると、解っていた。

手に取るように、目の前に居る裕朗さんから受け取れたのだ。
渡せたのだ。

それは裕朗さんも同じだった。
本人に聞く迄もなく、そうだったんだもんだって。

手に取るように、目の前に居る玉置玲央から受け取れたのだ。
渡せたのだ。
裕朗さんは。

それが手に取るように解ったんだもんだって。

これが演劇の凄い所なんですよ。

溶ける事が出来るんですよ。

こんな経験は、なかなか無いです流石に。

思うに、受信アンテナと発信アンテナがお互いびんびんで、その容量というか温度というかが、ある一定水準で同調したんだと思う。
そして更にそれを、空間全体に放てたのだと思う。
一緒に。

簡単に言えば
研ぎ澄まされていた
のだ。

そしてそれが出来得たのは、いつの間にか信頼していたからだと思う。

普段とは違う信頼関係の形成の仕方だった。
全く気付かない内に信頼していたという、良い意味での異常事態だったのだ。

考察しようにも、いつ信頼したのか本当に解らなくて、どうしようもない。

解っているのは、信頼なくしてはラストシーンでのあんなにもなやりとりは出来なかったという事。

だから、逆説的に俺は裕朗さんの事を信頼しているのだって、漸く気付けたりしたのだった。

良く解らない中、最高の演劇体験をさせてもらっちゃいました。



信頼は、もしかしたら非常に簡単に築かれるし、非常に簡単に失われる。

馴れ親しんだ人に対しても、初対面の人に対しても、その事実をきちんと認識して、今まで築き上げてきたものは蓄積し、けれども心の底から新たに信頼を得るつもりで接しないと駄目だ。
人は元来
されたい
が強く、されるとそれに満足をする。
満足は慢心を産み与えられる事を当然と思うようになり、やがて何もしなくなる。
腐る。

それではいけない。

いつでも貪欲に、謙虚に、冷静に、初心で居なきゃいけないのだ。

信じるだけでは駄目で
頼るだけでは駄目で

信じて頼らなくては、信頼とは言えない。

そしてそうなるように、生きていかなくてはいけないのだ。
そうすりゃ非常に幸せな人生が渦巻くのである。



美術の稲田美智子嬢と、やはり打ち上げで話す。

彼女は、心底俳優の事と演劇の事を考えて美術を創ってくれている。
と言うかもはや、彼女は世界を創っている。
美術ではなく、その先の世界を。

それは、簡単な様でなかなかに難しい。

生きて、生身のやりとりをしている我々俳優が、やっとの思いでその世界を創っているのに対し、彼女は物質を用いて、もの言わぬ物質を用いて世界を創っている。
それって凄いと思う。

んで、飽き足らず更に俳優という生物を知ろうとしていて。

なるべく多く、彼女の創る世界に立ちたい。
彼女の創る世界で生きたい。
彼女の創る世界をもっともっと拡げてあげたい。

そう思わせてくれる美術家。

軽く尊敬しています。

稲田美智子嬢が

カスガイの英ちゃんにも思ったんだけど、今回のラストシーンみたいなのを観せられると、すげぇなって思わされる。
あんだけやられると、もはやむかつくわ。
尊敬するよ。

的な事を言ってくれたのが印象深い。

そして何より嬉しい。

負けてらんないと思うし、俳優と裏方の、馴れ合いではない健全な関係だなとか、思う。



以上、珍しい凡人の総括終わり。



玉置は只今高速バスに揺られ、大阪を目指しています。
もうすぐ京都。

個人的な不安は多々ありますが、飛龍伝という作品、そして関西の俳優と、真っ向からぶつかってきます。

生きて帰りたい。
本当に強く思う。

舞台から日常へ、一歩でも一つでも多く、生還したい。

きっとこれは今後、毎度思うだろう。

物理的にも、精神的にも、生還は絶対だ。



人は、いつ死ぬか解らん。
違う言い方をするなら、いつ死んでもおかしくない。

だから悔いの無い生き方を
とか
いつ死んでも良いように
とか
ではなくてね。
したい話は。

つかこうへい追悼企画
飛龍伝を無事に終わらせて
死ななくて良かった
死なずに済んだ
生き残れた
って感覚を。

掴み取りたい。



掴み取って帰りたい。



だってやっぱりそれが俺の絶対的な幸せだもん。



いざ。
posted by 玉置玲央 at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

終着点の始まり

珍しい凡人、無事に終演しました。

ご来場下さった全ての方に、感謝です。



また後日ゆっくり書きますが。

井上裕生兄さんと稲田美智子嬢と、語る。



一つ確かなのは、凡人は凡人である事を自覚し、凡人として生きる術をきちんと身に付けなくてはいけないという事だ。
じゃないと、他人に迷惑を掛ける。

他人に迷惑を掛けたら、それはもう凡人じゃない。

そこには、敏感にいるべきだだって俳優だから。



寝ます。
posted by 玉置玲央 at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月11日

我々はどこへ行くのか

俺には。
信頼している方々がいる。
その方々に観てもらえるのは、心強いし、嬉しい。

稲田美智子という美術家を、俺は心底信頼している。
カスガイは、彼女の為にもやりきった側面がある。

俳優として、彼女と付き合っていきたいと思う。
彼女の話を聞きたい。



中屋敷を始め、村上誠基、長島敬三を、俺は信頼している。
ようすけだって、川田希嬢だって、信頼している。

中屋敷君が、凄い面白かったと言ってくれた事実は、俺の中ででかい。



事務所の面々。
朝、社長から留守電が入っていて、感想と激励。
有難い。
本当に有難い話だ。



中田顕史郎氏。
貴方の言葉は俺の中でいつも標になってくれて、感謝です。



観に来て下さった全てのお客様の言葉が、響く。
染みていく。



そして、須貝英。
君が居れば俺は、演劇続けられるのさ。



繋がりたいを貫きたい。
これからも一生それで演劇やっていこうと、強く思う。

演劇は手離したくないよ。



カタルシス不在というカタルシス。
追い求めて、生きれるだけ生きてみようと思う。

行き着く先は天国か地獄か。

そんなん知らん。

知らないが、演劇で生きる。



本日千秋楽。
本当にお待ちしています。逢いたい。



カタルシス不在というカタルシス。
posted by 玉置玲央 at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月09日

我々は何者か

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カレーです。
美味しいカレーです。



期待に応える。
という恐怖感。

有難い事に、様々な方、様々な地域からお声を掛けて頂ける。
その全てに、きっと何かしら、少なからず、玉置玲央への俳優としての期待みたいのがあると思う。
てか思いたい。
あったら良いなと、思う。

それに200%応えて、生きていきたいのだ。

もっと出来る。
最高ではなかった。

では駄目なのだ。



楽しみながらも、それに応えて生きていきたいのだ。

だって、俳優だから。



今出来る精一杯を追い求めて、今日も駆け抜けてみます。



我々は俳優だ。

恐怖と闘う俳優だ。
posted by 玉置玲央 at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月07日

久々の電車の中で綴るあれやこれや

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居酒屋に、予約に行く須貝帰る須貝。
変顔の須貝。

俺の携帯には須貝が一杯。

袖中で、涙を流しそうになるシーンがある。
須貝のシーン。

すっごく良い。
観てのお楽しみだ。



箱庭円舞曲
珍しい凡人
まだまだ進化深化真価。

ご予約も承り中。



どうにもうまくいかない事って、ある。
でも、仕方ない事は無い。
これは、ある人の受け売り。

仕方を、あるようにするのは、人だ人の力だ。

皆、自分の為だ。



ふざけんな。



本日の昼観に来て下さって、ご挨拶をちゃんと出来なかったお客様、本当に申し訳ありませんでした。

また逢えたら、そして楽しんで頂けたなら、幸いです。



最後はやはり人間性。
抜群な演劇能力を持ち合わせていないのなら、せめて、人間性だけは清く尊く美しく、持ち合わせようと思う。

理想は、そりゃ両立だがね。



深く不覚眠ろう。
風景を網膜に刻み付けて。

沈め静め鎮め。
posted by 玉置玲央 at 22:31| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

お願い

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劇場に、お弁当を持っていくのが大流行。

この日は、炊き込みご飯、大根と里芋の煮物、卵焼き。
夕方休憩で食べるつもりだったが、昼過ぎには食べ終わってしまった。
ってくらい、美味しい。



箱庭円舞曲は二日目を終えました。

劇場に通い、共演者と顔を合わせ、お客さんを迎えて、台詞を喋り、一喜一憂して。
端から見たら特殊な事かもしれないが、俺にとって『日常感』が半端無い。
普通の生活をしている感。
あるべき姿に納まっている感覚。

そんな環境に身を置ける事を、本当に有難く、幸せに思う。

なんか、生き辛いじゃない。
日々是。

だからこうやって、幸せや生き甲斐や意味を、己の力で必死こいて産み出していかなきゃいけない。

何の為に生きているのか。
何の為に演劇やるのか。

それが解ったら。
それが解ったらね。



魂から叫びたい。
でもそれは全解放するべきではなくて、蓋をして、その蓋押し上げて、なんか。

頑張るしかないのだ。



取り敢えず、生きている事が儲けだ。



今日も珍しい凡人ってきます。

絶対観に来て。
頼む。
posted by 玉置玲央 at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月05日

我々はどこから来たのか

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これは、小屋入り前日の夜だ。

セブンイレブンの前で、雨の中、誰かを待つ爺隠才蔵氏。
なんか良い。

須貝と飯を喰らう。
弱ったら困ったら、俺は須貝を頼る。
甘えとかではなく、彼はやはり親友であり戦友であり同僚でありライバルなのだ。
だから、頼る。
信じて頼ってる。



暑くて寝苦しい。



人に非ずに優れる

その覚悟が無いのなら、演劇なんてやっていてはいけない。
きちんと、真っ当に、人間として生きろ。

人間に、留まっておけ。

じゃなきゃ、なんかどうしようもならん。



そして初日の幕が開いて。

色んなものが開いた。

誰かの為に演劇やっていても良いと思う。
誰かのお陰で演劇やれている。
誰かの為に生きても良いと思う。
誰かのお陰で生きれている。

そんな事が当然に積み重なるのだ。
俺の演劇人生は。
そうやって生きてきたし、そうやって生きていく。

それは多分、物凄く奇跡的で。
有難い事だ。

全然罷り通って良い。
それは、酷く正しい。



なあ須貝。
俺らは出会ってから今まで、いつだって支え合って刺激し合って演劇やってきた。
それで良いじゃないか。

俺達はそうやって、演劇やっていこうよ。



ご来場下さった皆様、本当に有難うございました。

心から、なるべく多くの人に観てもらいたい。

繋がりたい。
居場所を大切にしたい。

それだけ持って、劇場でお待ちしています。

どうか、お願いだから、観に来て下さい。



おやすみなさい。
posted by 玉置玲央 at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

珍しい凡人たち

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自転車通勤中の、明治通り添いにある、素敵マンション。



演出家の意図を伝えられない俳優は、罪人でしかない。
演出家という人間一人の想いを、踏み躙る権利は、無い。
例えそういうつもりが無くても、意図を伝えられなきゃ、それはもう踏み躙るのと一緒だ。

今まで俺は、付き合ってきた全ての演出家の見たい風景を、きちんと体現出来ていただろうか。
って考えると、もう、恐怖でしかない。

踏み躙って来てやしないだろうか。

そして今回の箱庭ほど、演出家の、古川貴義の、世界を言葉を風景を、体現したいと思う事は無い。
だって俺はやっぱり、古さんの事を愛してるもの。

古さんがぽろりと
今回は玉置玲央の会話劇の集大成だ
的な事を言ってくれて。

正直プレッシャーだが、同時に嬉しい。
俳優冥利に尽きます。



実際、2012年夏までの予定が決まっているが、こんなにも真直ぐな会話劇に出演する予定は、とんとない。

今現在の立ち位置を、己でも確認しつつ、どうか、どうか、貴方に観に来て頂きたい。

絶対損はさせません。
心の底から、もやもやさせて、全てを終わらせます。

修行の第一歩。
どうか。

http://www.quartet-online.net/ticket/hakoniwa16?m=haaebef
posted by 玉置玲央 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月27日

摩擦

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黒子猫
何見る黄金の
その眼
秋冬春の
永らくの福



最後のオフの夜は、下北沢で過ごします。



箱庭円舞曲、小屋入り間近です。
どうか、観に来てやってください。
どうにもならない事を、声高に叫んでいます。
もやもやさせます。

ご予約はこちらから
http://www.quartet-online.net/ticket/hakoniwa16?m=haaebef
posted by 玉置玲央 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

虹を

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先日の雨。
狐の嫁入り絶好調の中、虹を見た。

虹を見たのは、カニクラ『73&88』以来だ。



自分の感覚や性能が、鈍っているのが、手に取るように解る。
純粋なひた向きさ、己の居場所、それを繋ぎ止める事、追い続けたい夢、思想やらなんやら、全然純粋無垢で良いのだと思う。
それがとっぱらわれた瞬間の、それ。
それが解逅を、産み出している。
筈だ。

虹みたいなものだ雨と晴れの狭間のプリズム。
美しさやお目にかかれる時間は、刹那。
それを取り逃がしては行けないのだ。

俺の大目的は、それでも人と繋がりたいという事。
だと思う。

台本には、全てが書いてある。
書いてない事だって、書いてあるのだ。



まだまだ、時間をかけてやる。
posted by 玉置玲央 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月21日

演劇家

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ある日の稽古場から見えた風景。
ここは、箱庭、monophoniの思い出が詰まっている。


そして自転車。
RITEWAY SHEPHERD 2.0
真っ赤な車体が良い。


今日は自転車で全て移動しようの日。

12:15、杉並区井の頭線沿いが最寄り駅の家を出る。
故あって、駒沢大学に向かう。

12:35、駒沢大学着。
用事を済ませる。

12:40、駒沢大学発。

12:57、杉並区井の頭線沿いのある駅を通過し、ローソンで休憩。
一旦家に戻り、諸用を済ませる。

13:43、杉並区井の頭線沿いが最寄り駅の家を出発。

14:02、三鷹に到着し、ご飯休憩。

14:17、ご飯休憩終わり、出発。

14:28、星のホール到着。
わが星を観ます。

16:50、観劇後、知り合い達と少し喋り、星のホールを出発。

17:50、江戸川橋到着。
箱庭円舞曲の稽古。

稽古後は、記録取るのを忘れてしまったが、須貝と飯を喰らい、帰宅。

須貝曰く、全行程40kmくらいだそうだ。
これで40kmなら、楽勝だ。



わが星を観て思ったのは

面白い芝居を創りたい

ってな事。

同時に、カスガイでやりたい事も見えてきたので、頭を働かせます。

良いね。



ホチキスも面白かった。

村上誠基と肩を並べて芝居が出来る環境に居ること、本当に幸せに思います。



負けない、面白い芝居を創りたいと思う。
演劇家として。

そういえば、演劇家って言葉は、古川さんが俺に言ってくれたんだった。

気に入っています。
posted by 玉置玲央 at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月14日

ハルモニア

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庭です。
桜草のざわざわと、それ以外、聞こえない静かな春の風景。



俺、自転車大好きですわ。
なんか乗りたくなる直ぐに。

朝から晩まで、多分あてど無く乗っていられる。

身体を動かすのも、風景が流れるのも、風が吹くのも、気持ち良くて仕方ない。

これから先、自転車圏内の現場が続くので、引き続き楽しみたいと思う。



箱庭の稽古は順調です。
どうか、観に来て下さい。
戯伝写楽の欝憤を、観に来て下さい。
posted by 玉置玲央 at 23:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

生きるキー

北京蝶々を観た。
身内贔屓だと思われていい。
何故なら身内贔屓だからだ。

中屋敷法仁って演出家は、全く、大したものだと思う。

作品にどれだけ貢献しているかってのは一目瞭然だが、何より、観ていて楽しい。
次に何をしでかしてくるのか、わくわくしてしょうがない。

これはもう好みです。
俺はやはり中屋敷法仁は巧いと思う。
そして、誇りに思う。

ジェットラグの演出の時も同じ事を思った。

訳の解らんバランス感覚で、作品の主旨と自分の面白いと思うものの間を行ったり来たりして、絶対に作品を汚しはしない。
確実に面白いものを打ち出してくる。

それはなかなか出来る事じゃないと、素直に思う。



そしてコロである。

トラム規模になると、やはり能力の差は歴然としてくる。
基礎的に持ち合わせた能力とは別に、どんだけ場数を踏んできているか、どんだけ華があるか。

コロが出てくると、客席を含めた舞台上の空気が、ガラリと変わる。
言葉一つ一つが全て耳から脳に届くし、動き一つ一つが目から脳に届く。
何はなくとも観てしまう。

この
観てしまう
が無いと、トラム規模では厳しい闘いになる。
俳優として。

コロは無敵だった。



台詞を喋れて、動けて、脚本の意図を汲み、演出の代弁者で居る事だけが俳優の仕事ではない。
それは超最低限。

舞台上から客席に、無意識的でも目を向けれて、自分が出ている舞台を劇場規模で考えれて、ただただ存在する事への追及。
根幹の根幹。

そこがしっかりしていないと、観ていられない。

って事が、ひしひしと伝わってくる舞台だった。



どうやら、2011年から2012年にかけて、柿喰う客は色々変わるし前進するっぽい。

中屋敷法仁という演出家と、なるべく長く付き合っていきたい。
何処まで行くのか、ともに見たい。

コロを含め、劇団員達となるべく長く闘っていたい。
なるべく長く好敵手で居たい。

その為の、2011年修業の旅。

泣きそうになりながら歯を喰い縛って頑張ろう。



そうそう。

愛されてるって最高。
お陰で心置き無く全身全霊かけて愛せる。

誇りに思う。
幸せに思う。
溺れ過ぎないように、甘え過ぎないように、ぴりぴり生きてやる。
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2011年04月09日

東西南北をひた走る

201104031730000.jpg


GO!GO!7188のトリビュートが発売されて、買おうかどうしようか迷っていたが、レンタルに留めておいた。

POLYSICS
opening
bloodthirsty butchers
MONGOL800
が出色だった。

正直、視聴した時にこの四バンドが良かったので、買うかどうしようか迷った。

音楽を聴く時は
・テンションが上がるか
・身体が揺さ振られるか
・芝居に使えるか

の三点を重要視していたりする。

POLYSICSは、このトリビュートの出だしに相応しい、最高の編曲を持って来てくれたと思う。
文具というGO!GO!7188の代表曲の、POLYSICSアレンジがどうなるかってのはやはり気になる訳だ。
その様々な期待にばっちり応えてくれた。
有無を言わさんピコピコガリガリ。
三人体制になっての音源、初めて聴いたかも。
正直、カヨの不在はでかいと思う。
それでも気持ちが良いのは、ポリが大好きだからに他ならない。

openingの考え事は、このアルバムを買おうかどうしようか迷った最大の要因だ。
やはり、インストは良い。
良いし、アレンジが良い。
何か、度胆を抜かれた感じではあって。
そして、芝居に使える琴線に触れた。
そしてインスト故に、改めて考え事が名曲であるという事に、はたと気付かされた。

bloodthirsty butchersは、ともすればコミックに寄りがちなジェットにんぢんという曲を、見事にノイズに打ち込んできた。
最高。
そこに田渕ひさ子嬢のギターがぴりりと入って来て、気持ちが良い。
bloodthirsty butchersを聴くと、田渕ひさ子嬢の力を思い知る。
そして同時に、ナンバーガールに想いを馳せる。

MONGOL800である。
締めがモンパチでこいのうたとは、やってくれる。
清作ののんびりした声も、合っている。
琉球音楽を併せてくる所は流石だ。
そこから終盤のバンドアンサンブルは、もう待ってました!の一言に尽きる。

堪能しましたわ。
お薦めです。



15minutes madeを観る。

東西併せて、知り合いしか出ていないという奇跡。

先ず何より、皆が無事に、笑顔で舞台上に居た事、本を書いていた事、演出していた事、お客様が楽しんでいた事、幸せに思う。
本当に、良かったって思う。
皆が無事だという事、凄い幸せ。

前々から聞いてはいたが、本当にミジンコターボが東京に来た。
当たり前だが何だろ、人一倍嬉しい。
普段うちらが大阪に行って逢っていた方々が、東京に来てくれて。
演劇やっていた。
劇団員の皆も、永井さんも、ちーちゃんも、ゆうたくんも、ようこそ。
楽しんでいってほしい東京を。
ってか客演さん方は東京でも良く観るわ。

深井さんと糸井さん、しんでぃとも丈さんとも話が出来たし、ロロはしゅんやに逢えて嬉しかった。
上野、細野、大川の競泳メンバーも皆元気そう。
フィクションズも、久々に逢えて観れて。
みゆきさんも相変わらず。

もう兎に角、皆に逢えて本当に本当に本当に楽しかった。
嬉しかった。

飛び入りした七味ですら愛しい。
タイミング良く大阪の相内さんまで来ていて、一同に会して、良かった。
良かったしか言ってないもはや。
でも、地震後に皆に全然逢えてなかったから、何かさ。

演劇があって。
皆が居て。

良かった。



磯川家と売込隊ビーム、どちらも関西の劇団だが、次の本公演で活動休止だそうだ。
それは悲しい。

今日も、明日も、明後日も、皆が、皆で、未来永劫演劇やれたら良いのに。

もっともっと、東西とかじゃなくて、日本の皆で、演劇やろうね。

約束。

もっともっと。



しっかし、楽しかったわ。
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2011年04月06日

五色の誤植

201104031740001.jpg


先日の話。

箱庭円舞曲の小野さんが、新しい自転車(ドッペルギャンガーのミニベロ)を買うらしく、今現在乗っている自転車(ライトウェイのフラットバーロード?クロス?)を譲り受けた。

玉置は実は自転車大好きなんです。

譲り受けた時点で、フロント、リア共にシフトのシャフト周りがボロボロで、どうやらグリップで押さえ付けるタイプなのだがグリップもいかれていた。
シフトワイヤーがほつれて駄目になってるのは見て解ったので、これはワイヤー変えて、新しいグリップで押さえ付ければ直るのではないかと思って自転車屋へ。
案の定、シフト周りはそれで完治。

ここからは修理を兼ねたカスタムへ。

現状で壊れる可能性があったのは、リアタイヤ。
もう繊維まで見えてる状態だったので、サイクルショップあさひに持って行き、あさひオリジナル700c×25に変える。
フロントにはもう少し頑張ってもらう事にした。

ペダルが初期装備品の、結構損傷が激しいペダルだったので、ウェルゴ製のアルミペダルに変える。
ウェルゴ製のデザインが好き。

後は以前の自転車に使っていたフロント、リア共にキャットアイのライトを着け、個人的にお気に入りの、サドルステーに装着出来るポパイ社製の鍵を購入。

これで一先ずは満足。

須貝の英ちゃんがサドルを譲ってくれるというので、有り難く頂戴し装着予定。
ボトルケージを、幅の調整が効く物に変更予定。

あと、一番の大工事は、現状のVブレーキをキャリパーブレーキに変更したい。
これは、Vブレーキのシステムがあまり好きではないのと、単純に見た目。
キャリパーブレーキは見た目が好き。

欲を言えば、本体の色を変えたいのだが、これは大掛り過ぎる&もう少し出せば新しい自転車買えてしまうから諦める。

という、趣味全開の話でした。



訳あってシアタートラムに赴く。

中屋敷、コロを初め、堀越涼、安藤リッキー、佐賀、山本の卓、佐野木、石黒兄、藤尾の姦太郎、今城マギー、稲田美智子姫、志水のれい子さん、職員木村、制作の池田兄さん、折り込みに来ていた小野さん、池亀三太、佐藤のんちゃん、赤羽ひろみと、お世話になってます矢作さん、入口で本日スタジオ入りのクロム寺田姉さん方に出逢う。

もう何か皆地震後に逢うのが久々で。
無事に演劇やれてて本当に良かった。
お互い。

顔が、心が、急激に綻ぶ。

そしてやはり、劇団員には定期的に逢わないと駄目だ。
それを含め、仲間達、先輩達、お世話になってる方々に逢うってのは、俺にとって大切だ。

大切な人達に逢う大切さ。
がじんじん染み込んだ。

間違いなく、全員全員大好きだ。
生きて演劇やってて、今こうして、大好きだ。



あー興奮して疲れた。
posted by 玉置玲央 at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月04日

sakura girl's distortional talk / all about stupid human

桜が咲いたので、夜、桜を見る。
紅茶家伝と午後の紅茶の飲み比べをする。

同じ事を繰り返す。
同じ事を繰り返す。
同じ事を繰り返す。

それを思う。



山手通りの地面の凹凸は相変わらずで、嫌気がさす。
合ってないサドルの高さが身体に伝わって腰を痛めたりする。

母校の前を通るが、感慨深さは微塵もない。
何故なら桜が咲いているからだ。
桜は毎年咲くからだ。
裂く身体。


駄々。



駄文。



打破。

ってなって。
凹凸の一際大きい所にタイヤが取られてだはってなって。
山手通りなんて大嫌いだ。
消えてなくなればいい。

真直ぐな道を速度を上げずに走ろうと思う。
息を殺して無酸素運動でしずしずと。
速度を上げず目の前の道の選択をきちんとして凹凸を避ける。
それ以外の余計な事は全く考えない金輪際。

それが、多分、一番大事。

自転車を停めて公園で、少しだけ桜を見る。
見る。
見る。
みるみる身体が冷えていく。
併せて脳味噌も冷えてでもそれは冷静さとは掛け離れていて。
しずしずなんて道の選択なんて忘れて速度を上げてしまうそんな気分なのだ。
おお恐い。

ルールがある。
そのルールに則っている以上、咎められる事は皆無。
ただ、そのルールから外れた時の仕打ちたるや酷いものだ。
殺伐ってる
気にさえなるのさ。

だからルールは破らない。
絶対破ってはいけない。

殺伐りたくなければ。

そうそう、公園でね。
公園で、桜を見た。
美しい桜を見たのだ。
しかし、年に一度、何を騒ぎ立てる。
桜の美しさを。
そこに関わる祭りを。
春の訪れを。
騒ぎ立てるのか。
なんだそれは。

それは冷静さを欠くほどの事なのか。
ルールから外れた事を、脳髄にまで染み込ませるだけの力が、あるのか。
植え付けるのか。

俺は知らない。
俺は何にも知らない。

俺は俺
俺の己のの為に走る。

桜は咲く。

ルールは護られる。

本当も嘘も、なんにも知らないのだ。

知らない
は罪で
解らない
は罰で

それって×なのだわ。
そうだ×だ×。
まるで×め×。
うるさい×。

帰ろう。
家に帰ろう。

俺は試されてる。
資質を。
存在を。
執着を。

生命力をどれだけ維持する才能に長けているかを試されてる。

車と車の隙間を擦り抜ける時、確かにそれを感じる。
一歩間違えれば死ぬという事実を擦り抜けている、いく、逝く?

逝かない。

公園で、子供が

いかない

って泣き叫んでいる。

ははは
母は

行くよ

って

子供は

いかない

って

行かない方が良い。
その意志、努々忘れないように。



自転車はやはり良い。
山手通りは良くない。

ただ、それだけの事だ。

桜は咲く。
毎年咲く。

ただ、それだけの事だ。



何にも気にする事は無い。



一度ならず二度も。

。いたいけなけいたい。

一度ならず二度も。



何にも気にする事は無い。



ただ、それだけの事だ。

毎年咲く。
桜は咲く。

ただ、それだけの事だ。

山手通りは良くない。
自転車はやはり良い。



その意志、努々忘れないように。
行かない方が良い。

って

いかない

子供は

って

行くよ

母は
ははは

って泣き叫んでいる。

いかない

公園で、子供が

逝かない。

一歩間違えれば死ぬという事実を擦り抜けている、いく、逝く?

車と車の隙間を擦り抜ける時、確かにそれを感じる。
生命力をどれだけ維持する才能に長けているかを試されてる。

執着を。
存在を。
資質を。
俺は試されてる。

家に帰ろう。
帰ろう。

うるさい×。
そうだ×だ×。
まるで×だ×。
それって×なのだわ。

は罰で
解らない
は罪で
知らない

本当も嘘も、なんにも知らないのだ。

ルールは護られる。

桜は咲く。

俺の己のの為に走る。
俺は俺

俺は何にも知らない。
俺は知らない。

植え付けるのか。
ルールから外れた事を、脳髄にまで染み込ませるだけの力が、あるのか。
それは冷静さを欠くほどの事なのか。

なんだそれは。
騒ぎ立てるのか。
春の訪れを。
そこに関わる祭りを。
桜の美しさを。
しかし、年に一度、何を騒ぎ立てる。
美しい桜を見たのだ。
公園で、桜を見た。
そうそう、公園でね。

殺伐りたくなければ。

絶対破ってはいけない。

だからルールは破らない。
気にさえなるのさ。
殺伐ってる
ただ、そのルールから外れた時の仕打ちたるや酷いものだ。

そのルールに則っている以上、咎められる事は皆無。
ルールがある。

おお恐い。
しずしずなんて道の選択なんて忘れて速度を上げてしまうそんな気分なのだ。
併せて脳味噌も冷えてでもそれは冷静さとは掛け離れていて。
みるみる身体が冷えていく。
見る。
見る。
自転車を停めて公園で、少しだけ桜を見る。

それが、多分、一番大事。

それ以外の余計な事は全く考えない金輪際。
速度を上げず目の前の道の選択をきちんとして凹凸を避ける。
息を殺して無酸素運動でしずしずと。
真直ぐな道を速度を上げずに走ろうと思う。

消えてなくなればいい。
山手通りなんて大嫌いだ。凹凸の一際大きい所にタイヤが取られてだはってなって。
ってなって。

打破。



駄文。



合ってないサドルの高さが身体に伝わって腰を痛めたりする。
山手通りの地面の凹凸は相変わらずで、嫌気がさす。



それを思う。

同じ事を繰り返す。
同じ事を繰り返す。
同じ事を繰り返す。

紅茶家伝と午後の紅茶の飲み比べをする。
桜が咲いたので、夜、桜を見る。
posted by 玉置玲央 at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月31日

箱庭円舞曲という世界

他人の中に己が息づく
という事は、嬉しいが同時に恐ろしい事だ。

自分自身が、自分の作品が、発した一言が、ありとあらゆるものが、誰かにとっては救いであり目標であり羨望であったりする。
如実に影響して誰かの柱になる。

その事実に気付けなくて、その柱を意図せずぽっきり折ってしまう事もあったりして、それが恐い。

意図してへし折る事は多々あれど、意図しないへし折りは自分にも誰かにも、非常に残念悲しい非生産的だ。
深い意味もなく吐いた言葉が誰かの琴線に触れて楔になって、打ち込まれたそこかしこを腐らせ弛ましたりする。

誰かの為に生きる
というのは、非常に非常に非常に非常に難しくおこがましい事なのだが、それでもその恐怖を度外視して誰かの為に生きてみるのが良い。
と思う。
己の価値と存在意義を値踏みしないで卑下しないで、また、出し惜しみしないで生きる誰かの為に。
それは、凄い、素晴らしい事かも知れません、ね。



箱庭円舞曲の稽古が巻き起こっている。

様々な理由により稽古後に呑みに行くという事をしない俺ですが、箱庭は呑みに行きたいと思う。
思わせてくれる。
この人達と付き合っていきたい。
観ていた時代から含め、四年目の付き合い。
三度目の出演。
だんだん掴めてきた距離感や役割や立場。
俺にとって間違いなく箱庭円舞曲は大切な場所だ。

今回も、これからも、大切にしていきたい。

全員集合した後の飲み会。
更にその後、河岸を変えて須貝、小野さん、ザンさんで呑む。
ぽろぽろ零れ出る四年前からのあれやこれや。
創った演劇の意義。
誰かを救いたいという想い。
を肴に。



毎日演劇やれるという事を本当に幸せに幸せに幸せに、思う。
祈る。
願う。
抗う。

演劇やっていたい。
誰かを救っていたい。

演劇やっていたいんだよぉぉぉ!!!
posted by 玉置玲央 at 19:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月28日

心底、救われています

IMG_0083.jpg

誕生日を祝われる玉置。

昨日27日は、戯伝写楽の千龝楽だった。
だが、俺はその舞台に立っていない。

公演中止が決まってから一週間以上が経った訳だが、未だに虚無感は拭えない。
もしかしたら、箱庭円舞曲の稽古が無かったらこれは、相当厳しかったかもしれない。
しんどかったかもしれない。

俳優は、立つ舞台、観て下さるお客様、闘う作品があってこその俳優だ。
それらを剥奪されたら、本当に人間以下のごく潰しだと思うよ。
猿より劣る。
ってくらい、自分の中で俳優という仕事は重要だ。
重要というか生命だ。

これが、人からの人為的な何かで剥奪されたのなら、いくらでも吠えるし噛み付く。
けどそうじゃないんだよね。

否応なしに、抗えない圧倒的なものに、根こそぎ一掃されているから、どうしようもない虚無感が取り巻いている。
のだと思う。

舞台に立っている筈の時間に、例えば、何をするでもなく過ごす時間それその事実。
が、すんごい絶望的。



普段、裏方のバイトをしているのですが、今日28日は、何の因果か吉祥寺シアターの仕込みだった。

劇場職員の皆さんが声を掛けてくれて嬉しい。
戯伝写楽は昨日で終わりだよ。
という冗談は、割と意外に、優しい。
けれど、確かにそこかしこに戯伝写楽の匂いがあるのだ。
ロビーに貼られた催し物案内には、戯伝写楽の文字が未だ踊る。

これはきっともう多分、再上演しない限り終わらない。
俺の中で戯伝写楽は終わらない。

のでので、今は一度忘れる。

幸いな事に、俺には演劇がある。
箱庭円舞曲は面白くなりそうだ。

公演中止の憂き目に逢う為に産まれてきたんじゃない。

津波地震の被害に遭われた方々に、様々な想いを抱きながら、俺は演劇やります。



こういう時はのんびり、力を貯えるのが良いのだろうな。
誰かの為に何かをする為に、力を。

師匠、黒澤世莉から時間堂の公演案内メールが届く。
『出来る事を出来るだけやる』
という一文を読んで、目頭が熱くなる。
その言葉は、俺の座右の銘だ。

オーストラ・マコンドーも駆け回っている。
15 minutes madeの競泳水着、川村紗也が楽しみだし、関西から参加する仲良し劇団ミジンコターボが、どういう評価を受けるのかわくわくする。
俺が今日仕込みをやっているという事は、当然本番が訪れるのだ。

何が出来るか。

出来る事を出来る限りやる。
この言葉に尽きる。



しっかり生きて演劇をやるので見ていて下さい。
観に来て下さい。



身体中が、痛い。
posted by 玉置玲央 at 22:42| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする